今月のマスターコースは
すごく濃かった~。
いつも言ってるけど。



あっ、もうマスターコースから
1週間以上たってますが…
私書くのに時間がかかるのです。はい(´ε`;)



今日は
不安のウソを
暴いていくお話。



私にとっての不安の第一位は



やっぱり



娘、キャミ子(5歳)のこと。




本当にキャミ子をほっといて
自分の好きな事をしてもいいのか?
(またこれ、ほんと疑い深い奴だ…




いつもその不安が
私にまとわりつく。




キャミ子は自閉スペクトラム症。
コミュニケーションが苦手で
同年齢の子どもと比べて、出来ないこと、苦手なことがいっぱいある。
こだわりがとても強くて、ややこしい。




でも見た目ではわからない。
キャミ子は私に似て背が高いし
一方的だけどよく喋る。
一見、しっかりした普通の女の子に見える。

よく観察すると、いつもフラフラ踊ってたり、難しい言葉を並べた独り言を言ってたり、いきなり猛ダッシュで走り出したりするので、普通じゃなさそだとわかるけど…(^_^;




キャミ子をほったらかしにしちゃうと
彼女のSOSに気づけない
助けてあげられなくなる…




私がいなきゃ、
一体誰が気づいてくれるの?
誰が理解してくれるの?
誰が助けてくれるの?




いつもそう思っていたし、
そう信じてきた。



でもどうしてそれを
信じるようになった?




生まれた時から何かと大変な子どもだったから?




確かに、それも大きい。




でも一番の理由は



やっぱり、私の前提。



私が
いつも助けてもらえない
って思い込んでしまっていた。



小さい頃、
両親はいつも仕事や趣味に忙しくて、
甘えられなかった。



困ってる時、
悩んでる時、
しんどい時…



助けて
手伝って



って言えなかった。



いつも何でも一人で解決しなきゃって
思ってた。




でも、両親は
私が困ってるなんて
全然気づいていなかったし、



私をほったらかしにしておく事に
ちっとも罪悪感を感じていなかったみたい。



そりゃあそうだ。



私は親の前では
手のかからないいい子だったし、
いつも笑っていた。



心配かけたらダメだって思って、
いつも大丈夫なフリをしていた。



それが私の両親への
愛情表現だったのかもしれない。
誰も気づいてなかったけど…



そしていつの間にか、



私は
いつも助けてもらえない



そんな前提が
出来上がってしまった。






だから私は
キャミ子をほったらかしにできない。



この連鎖をストップせねば
という強い思いを抱いていた。



そして神はからいなのか?!
私のもとにとっても手のかかる女の子が
オギャーと生まれた。



私は
いつでも助けてあげられるように
いつでもSOSに気づいてあげられるように



できるだけ
そばにいようと頑張った。




でもそんな頑張りは
いつか限界がやってくる。



毎日何かしら問題を起こす娘、
毎日止まらない要求をぶつけてくる娘、
寝ない、食べない、癇癪、自傷行為、多動…



私は毎日気が狂いそうだった。



いつもイライラして
体調も悪くなり



娘に優しくできない
すぐ怒る、すぐ怒鳴る、
とても怖いママになっていた。



毎日しんどくて
真っ暗闇のトンネルの中にいた。



そして心屋に出会い
マスターコースに
やってきたのだ。






今回のマスターコースで
自分を椅子に座らせて、
その自分に神様が声をかけてあげる
というワークがあった。



私が私に
神様になったつもりで声をかける。



「 いままでよくがっばったね。



でももうこれからは、自分の好きな事をして



幸せになっていいんだよ。



子どもは子どもの力で幸せになる。」



そう声をかけた。



子どもは子どもの力で
幸せになる。



ふと、その言葉がおりてきたのだ。



私の力で子どもを
幸せにしてあげるのではなく



子どもは子ども自身の力で
幸せになる。



子どもにはその力がある。



最も私が、
神様に言ってほしかった言葉だった。



子どもにだって
悲しんだり
寂しいく思ったり
傷ついたり
怒ったり…



いろんな負の感情を
感じる権利がある。



そういった感情を
感じながら、
こけたり、ぶつかったり、
立ち上がったりを繰り返し



大人になっていく。



負の感情を感じる権利を
親が奪ってはいけない。



私は子どもの事を信じていなかった。
何があっても大丈夫だなんて
全然思っていなかった。



でも振り返ってみると
私もそうしてきたじゃないか。



いっぱい傷ついて、
いっぱい失敗して、
ここまでなんとかやってきた。



結果、大丈夫だった。



マスターコースに来て、
私は両親に愛されていた事にも
気づけたし、



どうせ私はいつも助けてもらえる。
ってのはまだ人体実験中だけど



バンジーしたり、
タブーミッションしながら
自分の好きを追求していくと



きっとまた
新しい世界が見えてくる。



だから
ちょっとは
両親を見習って



私も子どもをほったらかそう。



子どもの力を信じよう。



何があっても大丈夫だ。





やっぱり私の不安は
ウソだったみたい。



これからもこの不安は
出てきたり、消えたりを
繰り返すかもしれないけれど、



人体実験しながら
螺旋階段を昇るように、
少しずつ昇っていく。



そうすると
見える世界が
少しずつ変わっていくのだ。



子どもをにゃめるにゃ~(ナメるな~)