池田清子「よく」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2025年11月17日)
受講生の作品。
よく 池田清子
母の着物が幾枚かある
着ている姿を少し覚えている
どの着物とどの帯を
合わせていたのだろう
私にも よく似合う
着たい気もある
処分せねばとも思う
器、花器、置き物、掛け軸、硯、洋服、本
郷愁か、過去へのとらわれか、親への感傷か
物欲はないほうだと思っていた
捨てられないのは
物欲? 執着
人への欲
こころへの欲
耳、目、口、鼻、身、意の欲
自制する? 我慢する?
楽しみは? 苦しみは
嗚呼
すべては 無明
私は いる
一連目。「着ている姿を少し覚えている」の「少し」が静かでいい。「少し」だからこそ、その「少し」をつかみ、そこからそれにつながる記憶をたぐっていく。それが四連目の「器」からはじまる一行になる。
ただ、「器」の一行は、あまりにも抽象的すぎる感じがする。
一連目の「どの着物とどの帯」にも言えることだが、ひとこと、どんな着物なのか書いた方が、その色、あるいは模様によって「母」が浮かび上がってくると思う。
具体的な思い出よりも、こころ(よく/欲)の動き、それへの変成(?)の方が主題で、その主題へ向けて「耳、目、口、鼻、身、意の欲」ということばが出てきて、哲学的に思考を深めようとしているのかもしれない。それが最終行につながるのかもしれない。
「書きたいこと」が多すぎるのかもしれない。多くても、それを絞り込んだ方が、詩の場合は効果的だと思う。
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なだらか坂 堤隆夫
腰を痛めて なだらか坂を上っている時 ふと気がついた
ゆっくりと一歩 一歩 上っている時
いつもの景色が 明るく あざやかに見えた
弱くあることの 幸せの微風を 感じた
突然 胸の底の貝殻の中の記憶が 蘇ってきた
母が幼いわたしの手を引いて 静かにゆっくりと
高台にある父の墓に 行く時の記憶が----
速く強いことからは 見えなかったわたしの宝物----
顔には出さずとも 胸の底の貝殻の中で涙しながら
今日もなだらか坂を ゆっくりと上っている人がいる
こんなにも弱い人が 涙しながら生きているのに
強く健やかにあれとの 言葉ばかりが
なぜ 巷には溢れているの?
弱くある時の なぐさめの言葉は
なぜ こんなにも巷には少ないの?
堤の詩では「ゆっくり」が印象に残る。「腰を痛めて」ゆっくりしか坂を上れない。その自分の「ゆっくり」が母のゆっくりにつながる。その記憶は、「蘇ってきた」。それは、突然なのかもしれないが、その「蘇ってきた」の前に「ゆっくり」を挿入してみたい気持ちに襲われる。ゆっくり蘇ってきた記憶に、ゆっくりいまの私を重ね合わせる。早かったら、きっと重ね合わせることがむずかしい。
「強い」ことは「速い」。「ゆっくり」は「弱い」。
「ゆっくり」「弱い」ものにしか見えないものがある。たとえば「なだらか坂」。「強い」ひとは、それを気にしない。「速く」のぼってしまう。
「胸の底の貝殻の中」ということばが非常に印象に残るが、これは、「ゆっくり」と同じように、堤と母をつないでいる。その胸は「母の胸」であり、「堤の胸」であり、また、「なだらか坂」を「ゆっくり」のぼる、ひとの胸でもある。
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乃木坂クラブ 青柳俊哉
十二月がまた来る この冬のなんぞあつきや
白亜のベッドにくまの如めざめる
まぼろしのゆうれいのような乃木坂クラブ
くつがえされた夜のような宝石だんべ
女給の和服のエプロン
かくれた帯のコルサージュ、ブーゲンビリアのくらい塔に
クリスマスツリーの星がともる
46子の、星の上州訛りをコールサックにつめて塔の梯子を上る
氷のくろい宝石を朔々くべて灯火する
子熊座の陥没したくらいそら
愛猫のはだのようなくらいそら
梯子を外す
西脇順三郎と萩原朔太郎の間を行き来していることばの運動を感じる。二連目の、あまりにも有名な西脇の詩の「朝」を「夜」に変えたとき、「明るい」が「くらい」にかわるの。それがこの詩の、ことばの基本的な運動だと思う。「だんべ」は「上州訛り」ではないとおもうが、二行目に「だんべ」をつけくわえなかったら、「上州訛り」は出てこなかったかもしれない。朔太郎とは違った詩人が登場していたかもしれない。
「氷のくろい宝石を朔々くべて灯火する」はとても印象が強い。この一行では、 「氷のくろい宝石を朔々くべて灯火する」はとても印象が強い。この一行では、朔太郎は「氷島」が踏まえられているのだろうが、あとに登場する「猫」のことを考えると、「宝石」と対比するのは「氷」ではなく「猫の目」でもよかったような気がする。