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詩はどこにあるか

詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。

 2025年12月1日の読売新聞。2面に香港火災の続報が「香港政府、批判抑え込み」という見出しの記事がある。

 香港紙・明報は30日、火災に関する政府への要求をまとめた請願書の賛同を募った男性が29日、扇動行為を行ったとして香港警察国家安全部に拘束されたと報じた。複数の香港メディアによると、火災に関する独立調査委員会の設置や政府職員の責任追及などを求め、インターネット上や現場近くで賛同を求めていた。
 香港にある中国治安当局の出先機関「国家安全維持公署」は29日、「災害を利用して香港の混乱を企てる者」は「国家安全維持法に基づき厳重に処罰される」と警告した。男性の拘束は政府批判の拡大を封じる狙いがあるとみられる。

 この記事だけを読むと、中国は政府批判を許さない「独裁国家」だ、こわいなあ、という印象を持つ。私も、この記事だけを読んでいたなら、そう思ったかもしれない。しかし、私はたまたま11月30日に、NHKのテレビを見た。NHKも読売新聞とほぼ同じことを言っていたが、とても違うところがあった。
 そこに、私は、とてもこわいものを感じた。(これは、別のサイトのスレッドですでに書いたことである。)
 何が違うか。読売新聞は「香港紙・明報は30日、火災に関する政府への要求をまとめた請願書の賛同を募った男性が29日、扇動行為を行ったとして香港警察国家安全部に拘束されたと報じた。」とニュースソース(香港紙・明報)を明確にしている。これは、「伝聞」である。
 NHKはニュースソースを明確にしていたかどうか忘れたが、私がぞっとしたのは、その報道をするとき、NHKが、拘束されたであろうひとが批判を展開していた現場を映し出したことである。そして、その現場にはするひとが何人か映っていたが、批判するひとは映っていなかった。たしかに、彼らは拘束されたのだと思う。
 なぜ、ぞっとした。
 なぜ、NHKの記者は、だれもいない「現場」、係員(?)が掃除している現場に行ったのか、ということである。だれもいない現場まで行き、それをカメラで伝えることができるほど、NHKのスタッフは、香港にたくさんいるのか。偶然、「あすもここで抗議運動をする。取材してくれ」と活動家に頼まれて行ってみたら、そこには彼らはいなくて、清掃員だけがいた。それで彼らが拘束されたという事実を知ったのか。それなら、報道する理由もわかるが、私には、そうは思えない。
 だれかが活動家の拘束というニュースをNHKの記者に知らせ、同時に「現場では活動糧はなく、(政府の指示を受けた)清掃員が掃除をしている。その映像にあわせてニュースを読め」と指示したのではないのか。そうでなければ、「偶然」、そういう場に立ち会い、そうした映像をカメラにおさめることなどできないだろう。
 もっとほかに伝えなければならない「映像ニュース」があるはずである。(ちなみに、読売新聞は、焼けたマンショの一室の惨状写真を掲載していた。)だいたい中国政府が、政府批判者を拘束するのは、解くに珍しいニュースではない。どちらかといえば、今までどおりのニュースである。それなのになぜ、今回、わざわざ、清掃員が清掃する映像を放送したのか。なんのために?

 ここからは、想像である。
 たぶん、中国政府の「言論弾圧」を印象づけるためである。読売新聞の記事のように、文字だけでは、「またか」くらいの印象だが、清掃員が清掃する映像(ほかにだれもいない映像)では、「清掃することで、批判者が活動していたという痕跡(たとえば、批判を書いたビラ、路上のビラ)を香港政府は消し去ろうとしている」という印象が生まれる。批判があったということを、市民の目に触れさせまいとしている、これはこわい、という印象が生まれる。
 NHKは、たぶん、それを狙っている。
 これはもちろん中国と違って日本は言論の自由、政権批判の自由が許されている。日本は中国と比べて、とてもいい国だということをアピールするためである。
 なんのために?
 高市政権に「ごまをする」ためである。高市支持派のあいだで広まっている「中国嫌悪」をあおるためである。
 なんとなれば。
 日本の新聞、テレビは、「高市辞任要求」「発言撤回要求」を掲げてデモしている市民の姿を報道したことがあるか。私は、偶然どこかでテレビを見る以外はテレビを見ないし、新聞も金がなくて一紙しか読んでいないので正確なことはわからないが、報道されていないと思う。
 「政府批判の自由」「言論の自由」はあるかもしれないが、その「自由の行使」は報道されない。いや、それを伝えるべき報道機関が、その報道を封印している。これは、おそろしいことではないだろうか。
 高市批判が存在しないかのように報道する(高市批判を報道しない)という方法で、マスコミは高市にすりよっている。
 これは、第二次大戦前、あるいは第二次大戦中のマスコミの姿勢そのものではないのか。「日中戦争」は、高市の「宣戦布告」よってはじまり、その戦争をマスコミは高市支持派と足並みをそろえて応援している。
 私には、そう見える。