ある日、私は夢のなかで、幾枚もの「断片」をため込んだ箱を見つけた。それは小倉金栄堂(いまは存在しない)の二階の売れない本の間に挟まっていた紙片である。何度か登場する「小倉金栄堂の迷子」という文字をみると、詩集か小説のメモのようにも見える。傍線で削除した跡があり、また小さな文字で挿入したことばがある。削除されたことばは別の紙片に登場し、別のことばとつながっている。「削除された注釈」と断り書きのついたものもある。読んでいくと、重複することばが何度も登場する。ページ番号がふってないので、どういう順序で読めばいいのかわからないが、いずれにしろ読者というものは書かれた文字をその順序どおりに読むとはかぎらないし、読んだあと自分の好きな部分だけをとりだして感動するのだから、「論理」というようなものには意味がないのかもしれない。「未完」の作品をさえ「傑作」と呼ぶ批評家もいるくらいである。だから、私は、偶然手に入れたその紙片を私なりに並べて一冊にしてみようと思う。やがてほんとうの筆者が現れて(もちろん偽物でもいいが)、この本を「剽窃」と断言した上で、これをもう一度再構成することがあるかもしれない。それは、私にとって、この上もない喜びである。ことばは何度でも繰返し書かれることを望んでいるというのが、私が、ここにまとめた紙片から学んだことだからである。たいへんな乱筆で書かれた文字だったので、私はワープロに転写する際に誤記した部分があるかもしれない。誤読した部分があるかもしれない。しかし、ことばとは、誤解されるものなのだから、それでいいだろう。どうしても理解できない部分は削除したが、句読点ひとつさえ、私は追加していないことだけを、最後に記しておく。