黄怒波『チョモランマのトゥンカル』(2)(講談社エディトリアル、2025年6月10日発行)
「対」についての補足。
「対」と呼んでいいのかどうかわからないが、「生と死」もまたひとつの組み合わせである。前回、中国人の特徴として「中国人は金を第一に考える」ということを書いたのだが、これは「中国人は金=生(いのち)」と考えるということである。
この小説は北京の都市再開発プロジェクトをめぐる小説だが、そこではもっぱら「投資活動」が語られる。投資し、利益を受け取る。投資するのは、より大きな金を手に入れるためである。金が、まるで生き物のように動く。投資家は、金の動きだけを見ている。実際の、都市開発、労働には関心がない。投資家にとっては、金を動かすことが労働(生きること)なのである。
だから、というのは変な論理かもしれないが、金が動かなくなったら、金が利益となって自分のところに帰って来なかったらどうなるか。金を動かしていたひとは、ビルから飛び下りて自殺するのである。いのちを絶つ。金はいのちであり、金がなければ死なのである。これは「論理」というよりも、「論理」を超えた「理(道理)」そのものかもしれない。ビジネス戦争をめぐる部分で、黄怒波は「論理」ということばと「理(道理)」をつかいわけている。
いま私が書いたことを正確に「適用」できるわけではないのだが、155ページにこんな会話がある。
「従業員、とくに上の管理職は、訳もわからずにボスに売られたりしないよう、自分を守る権利があります」
「じゃあ、あなたの論理に従って議論しましょう。従業員たちは、堂々とその会社を盗み、ボスの座を奪ってもいいの?」
ここには「論理」と「理(道理)」は違うものという意識がある。「従業員が会社を盗み、ボスの座を奪う」のは「論理」としては可能な運動だが、「理」に反する。「理」にら反したことをしていいのか、と言っているのである。金の動きには、一方で「論理」があり、他方で「理」がある。
これが、この小説の深いテーマなのだが、私のような貧乏人には、ちょっとついていけない問題である。
「対」とは、もともと「理」に基づくものなのである。「理」を把握できないとき「対」を「論理」で説明するのだが、「論理」で説明してしまえば「対の理」は単なる「形式」になる。長い歴史をもつ中国の詩、漢詩の構造が「形式」になってしまうように。だれの詩でもいいが、中国の古典を読み、「対」をみつけ、「対」と指摘することはできるが、それに匹敵する「対」を詩として書くことがむずかしいのは、「対の理」からことばを動かさないからである。偉大な中国の詩人は、「論理」ではなく「理」としての「対」を生きていたのである。
脱線したが。
この小説に引用される中国の古典は「論理」ではなく、「理」を動いていることばなのである。「理」は「いのち」をささえている。「理」を生きる限り、「いのち」は自在に存在する。
その視点からとらえなおせば、チョモランマの頂上近くで生き延びる主人公は、「論理」ではなく「理」を具現化した存在だといえるだろう。
こういうことは「直覚」できても、「論理化」するのはむずかしい。「分析」するのはむずかしい。私は中国の古典にはくわしくないから、そこに「理」が存在することを「証明」するのはむずかしすぎる。ただ、それが「ある」と感じるだけである。この視点から、だれか、この小説を分析してくれるひとがいるといいと思う。
「生と死」。それをひとつのものと考えたとき(「対」になることで「理」に接している、「理」と交わっている、「理」を具現化していると考えたとき)、その「生と死の理」に向き合う「対」となるべき存在は何か。
これも、私は私の「直覚」として言うだけなのだが。
それは「時間」である。「時」である。
この小説には、しつこいくらいに「時間」(時)が明示される。6ページ目に、
二〇一三年五月一七日午後六時のことだった。
と出てくるのが最初だが、必要なときには分単位で明示される。「時(時間)」は「生と死」の現場をささえる「理」であり、その「時間の理」の上で「生と死の理」が動く。黄怒波にとって、その逆はない。つまり「生と死の理(人間の活動の理)」の上で「時間の理」が動くことはない。「相対性理論」は黄怒波の思考には含まれない。これは「中華思想」、あるいは「漢字の思想」そのものを反映しているかもしれない。「中国/漢字=意味」は動きようがない。「中国」が「中心」であり、「中国」は動かない。中国人は世界各国へ出かけ、活動するが、「中国」という国家そのものは、まったく動かない。「国家」として他国まで越境するということはない。「万里の長城」は外国の侵入を阻止するものであって、そこを拠点にして外国へ進出していくわけではない。
黄怒波の「時間」へのこだわりを読むと、そういうことを感じる。
中国の動詞には「時制」がない、というと言いすぎになるかもしれないが、動いた、動く、動いている、動くだろうも「動」という漢字そのものに変化がない。「語尾変化」がない。「語尾変化」のかわりに「時間」をさししめす別のことばが必要になる。「動詞」が変化するのではなく、「時間」が変化する。「時間の変化」の底には、やりは「時間の理」という不動のもの、「時間の自由を許す理」というのがあるのだろうが、その「許し」によって、「二〇一三年五月一七日午後六時」をはじめとするさまざまな「時」が記される。「二〇一三年五月一七日午後六時」などの「時間」を明示することで、黄怒波(あるいは英甫という主人公)は、彼が「時間の理」を生きていることを宣言しているのである。ここには、なにか小説の展開以上に本質的なものがある。
中国が他国を侵略する必要を感じないように、黄怒波は「時間の理」を超えて(つまり、別の論理をつくり)、別の時間のなかへ旅しようとはしない。「時間の理」の「中心」として存在し続け、その「時間の理」に従って、他の登場人物も動くのである。
だからといっていいのか。
その「時間」のなかには、ビジネス戦争の関係者だけではなく、チョモランマで死んだ過去の登山家も「生きている人間」として登場してくる。死んでいるのだが、「時間の理」のなかで動いている。彼等の遺体を発見するひと(隣り合わせになる人)は、そこに「時間」があることを知るのである。遺体がもっている「酸素ボンベ」は酸素ボンベで、「時間の理」にのっとり、独自に動いている(生きている)。それが主人公を助けることにもある。
今回書いたことは、「感想」というよりは、私がこれから「考えてみたいこと」のための「メモ」かもしれない。
中国は日本の隣国であるだけではなく、日本の文化は中国に多くを負っている。そのことを考えるとき、この小説は、いろいろなヒントを与えてくれると思う。