池澤夏樹のカヴァフィス(59) | 詩はどこにあるか

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59 エンディミオンの像の前にて


この像を見よ。今わたしは世に広く知られた
エンディミオンの美を陶然として見つめる。
我が奴隷は籠一杯のジャスミンをここに撒く
縁起のよい歓呼が古代の快楽の眠りを醒ます。


 カヴァフィスは、この作品でも「美」を具体的には書かない。かわりに「陶然として見つめる」ということばを書く。「わたし」の肉体を書く。そのため、まるで「わたし」がエンディミオンになったかのように感じられる。実際、カヴァフィスはエンディミオンになって、この詩を書いているのだろう。
 池澤は、


 この詩の「わたし」は架空の存在。アレクサンドリアという地名が出てくるから、時代はおそらくヘレニズム期。


 と書いている。
 私は歴史に疎いので、時代がいつかは気にしない。
 「奴隷」のいる時代。それよりも「古代」を思う。それだけで充分だ。
 で。
 ついさっき、「わたし」はエンディミオンになっている、と書いたばかりなのだが、「わたし」は同時に「奴隷」でもある。エンディミオンの美の奴隷。奴隷にジャスミンの花をまかせるのではなく、自分でジャスミンの花を撒く。ジャスミンを選んだのは「わたし」だ。
 さらに歓呼の声を上げるのも「わたし」。「快楽の眠り」を醒まされるのも「わたし」だ。
 つまりそれは「わたし」の肉体のなかに響きわたり、「わたし」の眠りが醒まされる。実際に人々が (奴隷が) 声を上げるわけではない。
 なにもかも区別がなくなり、「肉体」のなかで一つになることを「陶然」と読みたい。



 


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