玄奘が長安の都から最初に訪れた国というのは高昌国という国で皇帝の名を麹文帝といいます。
麹文帝は仏教に精通している玄奘を気に入ったのです。
麹文帝は玄奘をこれから危険が待ち構えている西域に出したくなかったので
『この国を出ないで私の国で仏法を庶民に教えて欲しい』
と玄奘に伝えました。
しかし玄奘は天竺にお経を取りに行き本当の仏教を学びたいと麹文帝に言うのですが麹文帝は納得しません。
挙げ句の果てに玄奘を国から出さないと厳命するのでした。

玄奘は天竺に行けないのならこの国で死を覚悟し断食を行い死の寸前までいくのです。
それを見た麹文帝は玄奘の強い決意に心を打たれ考えを変え玄奘の天竺行きを支援することにしました。

玄奘は、どこの国へ行っても人気者で一ヵ月、二ヶ月、三ヶ月ほども滞在しては、その国の民に
『仏法を教えてくれ』

と頼まれるのです。
その都度、玄奘は、その頼まれごとの為に国に留まり仏法を教えたのでした。

 

天竺に到着するまでに膨大な年月がかかったのは実は、そういった頼まれごとのせいだったのです。