わたくし本日…

『余命10年』

を観てまいりました💡

というわけで、記憶が新しいうちにその感想を綴りたいと思います✏️


が!その前に!

『そもそも今日って、平日ですよね?』

とか、

『コロナを気にして"チェリまほ"でさえ観に行くか悩んでましたよね?』

とか、色々と怪訝に思う方もいるかもしれません💦その件については書き出すと長くなりそうなので、それについてはまた別記事で書かせていただきます😅(そもそも興味ねーよって話かもですがw)


というわけで、今回はその問題は一旦置いときまして、映画の感想を書かせていただきます💡


  率直な感想を言うなれば…

もし、

『一言で感想を述べよ』

と言われたとしたら、内容云々というよりも…

『映像美が素晴らしい映画』

と僕は答えるかなと思います✨


映像に定評がある藤井監督作品というだけあって、とにかく映像、撮り方、魅せ方が美しいなぁというのがすごく印象的でした。


特に映画の予告映像でも流れている

桜のシーン🌸

言葉にするとすごく安っぽくて伝わりにくいかもですが、映画館で観ると、めちゃめちゃ

繊細で美しいです✨


そして、RADWIMPSの音楽がこの映画の世界観にめちゃめちゃ合う🎵映像とめちゃめちゃ調和してます。監督が、わざわざRADの野田さんに音楽をオファーした意味がわかる気がしました💡


なので、

映画のテーマとか内容どうこうというよりも、

『芸術性の高さが素晴らしい』

というのが僕の率直な感想です!


  内容の評価としては…

なんとなく結末までの流れが予想できてしまう、『いわゆる"余命モノ"とは一線を画す作品』

という前評判を聞き、

僕はかなりの期待感を持ってました❗️


で、見終えた感想としましては…

『期待は越えてこなかった』

という感じです。

※あくまで僕の個人的な感想ではありますですが、この映画を大好きな方、辛口評価だったらすみません💦


ハッキリ言ってしまえば、

"やっぱ余命モノは余命モノだよね"

という感じでしょうか。


ただ、

単に涙を誘いたいがために病に冒されたヒロインを主人公にした恋愛映画なのか?

といえば、そういう感じも受けませんでした。


たしかに恋愛モノではあるんでしょうけど、単なる恋愛映画というよりは、ひとりの女性の生き様を記録したドキュメンタリー映画という表現の方がしっくり来る気がしました。


これといって予想を覆すような展開があるわけでもないですし、本当にストーリーが淡々と流れていく感じだから、ドキュメンタリー感が強いのかもしれません。

あと、フィクションとはいえ、実話を題材にしてる作品だから、余計にそう感じるのかもしれませんね。


人に薦めたい映画か?? 

先ほど書いたように、やはりあくまでも

『余命モノの映画』

だと思っていただいた方が良いと思います。


なので、当然ながら作品を通して、

『生きること』とか『命』とか、

そういうことについて考えさせられる作品だなと思います。


ただ、

『命を大切に生きなきゃいけないですよー』

的な説教臭さがある作品ではないですし、

『この映画が伝えたいメッセージ』

みたいなものが、すごく明確で押し付けがましい作品というわけでもなくて、あくまでも、

『この映画を観た各々が、何かを感じて、それぞれで答えを出してもらえたら…』

みたいなキッカケ提供型の作品という感じなので、考えさせられはしますが、映画を見終えた後に『重〜く暗〜い気持ち』になる作品でもないかなと思います。そこが『余命モノの新境地』ということなのかもしれません。


というわけで、

『そもそも、何かを考えさせられること自体がパス👎』

とか、

『気楽に映画を楽しみたい😔』

みたいな方には、オススメしません。

(あくまで個人的意見ですが…)


『芸術的な作品として、映像美と音楽の調和を楽しみたい☺️』

とか、

『生きるということについて、ここいらで考えてみたい🤔』

とか、

『単純に坂口くんの演技を堪能したい💕』

というお気持ちがある方には、

一見の価値がある作品かと思います💡


僕的に期待ほどの内容ではなかったとはいえ、僕自身、余命モノに特別苦手意識はないタイプなので、僕はわりと普通に観れましたし、『生と死』について色々考えさせられるキッカケをもらえたのは良かったなと思ってます。


コロナだったり、今の世界情勢だったり、命についてリアルに考えさせられることが多い今だからこそ、この作品を通じて、

『人が生きるってどういうことなんだろう?』

っていう人としての原点について、改めて考えてみるのも良いかもしれませんね💡


では、ここからは僕が憶えている曖昧な記憶から、ストーリーを振り返りつつ、もっと具体的な感想を綴っていきたいと思います💡


※ここからは完全にネタバレになります。これから映画を観ることを検討している方は、ここでフェードアウトすることをオススメしておきます。


  ストーリーと印象に残ったこと。

20歳の時、数万人に1人という肺の病に冒され、余命10年を宣告された茉莉(小松菜奈)。2年の入院期間を経て退院した茉莉は、ある日、地元中学の同窓会に参加し、同級生の和人(坂口健太郎)と再会する。

家業を継がず東京に上京した和人は親とは絶縁状態。勤めていた会社も解雇された和人は生きる意味を見出せず、ある日自宅のベランダから転落し自殺未遂を図る。

病院に搬送された和人だったが、絶縁している親は駆け付けることなく、代わりに和人の親から連絡を受けた同級生のタケル(山田裕貴)とタケルから連絡を受けた茉莉が病院に駆け付ける。自ら命を絶とうとした和人に対して、茉莉は『真部くんのことよく知らないけど、それってすごいズルい』と言うと、涙を拭いながら病室を後にする。

その後、偶然病院で茉莉と茉莉の母親の姿を目撃する和人。和人は、"茉莉の母親が病気だから、自ら死のうとした自分に腹が立ったのだ"と思い込み、退院した後、そのことを茉莉に謝罪する。茉莉から『私も頑張るから、もう死にたいなんて思わないでください』と言われた和人。

その後、和人は出来ることから始めてみようと、タケルから紹介された居酒屋でアルバイトを始める。

大学時代の親友である沙苗(奈緒)の紹介で、沙苗が働く出版社でWEBライターとして働き始めた茉莉。茉莉は、仕事を紹介してくれたお礼に沙苗にタケルを紹介。それ以後、茉莉と和人と沙苗とタケルの4人はグループ交際のような時間を過ごすようになり、しばらくして沙苗とタケルは付き合うこととなる。次第に茉莉への想いを募らせる和人だったが、余命宣告されてから、もう恋愛はしないと心に決めていた茉莉は和人の想いをわざと避けて過ごすようになる。

その頃、薬の効きが悪くなり、茉莉の病状は次第に悪化。姉の桔梗(黒木華)から病院を変えて肺の移植手術を考えてみないか?と提案されるが、これまで大きな手術をしても治らなかった茉莉は反発してしまう。

そんな矢先、和人から呼び出され、面と向かって告白された茉莉。次第に病状が悪化していた茉莉は『私のこと何にも知らないで勝手に色々決めつけないでよ』と和人に怒ると、過呼吸を起こしてその場で倒れてしまう。

病院に搬送された茉莉は目を覚ますと、和人に20歳の時に大きな病気をしたと話し(この時、不治の病であることは告げていない)、『もう会いたくない』と和人に告げる。

その後、茉莉と会わなくなった和人だったが、居酒屋の店主である玄(リリー•フランキー)から『"次はない"と思えるほど愛する人に出会えたお前は幸せだ』と背中を押された和人は、再び茉莉のもとへ。茉莉に『茉莉ちゃんは、死のうとしていた俺に生きようと思わせてくれた。今度は俺が茉莉ちゃんのこと守るから、一緒にいてください』と再度告白する和人。ようやく和人の想いを受け入れた茉莉。2人は晴れて付き合うこととなる。

茉莉は、自身が余命宣告されてからのことを小説として執筆し始めるが、病状は更に悪化。和人と2人でスノボー旅行へ出かけ、ゲレンデで和人はプロポーズする。

翌朝、和人が目覚めると既に茉莉の姿はなかった。和人が慌てて部屋の外に出ると、目の前には1人帰ろうとしている茉莉の姿が。和人から理由を問い詰められた茉莉は、ここで初めて自分が不治の病に冒されていることを和人に告げる。事態を理解出来ず混乱する和人であったが、茉莉から『これ以上カズくんと居たら死ぬのが怖くなる。そろそろ死ぬ準備をしなくちゃ』と言うと、和人は茉莉の決意を受け入れざるを得なかった。

その後、茉莉は小説を完成させ、和人は独立して居酒屋『まつり』のオープンに漕ぎ着ける。居酒屋がオープンした日、沙苗から茉莉が書いた小説を手渡された和人。そこには、自分と過ごした日々のこと、茉莉の想いが描かれていることを知った和人は、茉莉が入院する病院へと向かう。

既に容体が急変し、意識が遠のいていた茉莉だったが、和人が茉莉の手を握って話しかけると、反応を示し再び目を開いたのだった。その後、茉莉は短い生涯を終え、天国へと旅立った。


セリフとか前後関係とかが微妙に違うかもですが、なんとなくYouTubeに上がっている予告映像を参考に振り返ると、大体こんな感じだったかなと思います。

それでは、そんなストーリーを踏まえた上で、僕が気になったことをいくつか挙げてみたいと思います💡


和人の親との関係って、結局どうなったの??

そもそも、和人がなぜ親と絶縁状態になってしまったのか??親の敷いたレールを歩みたくないから上京したらしいことは話していたけど、かと言って和人に何かやりたいことがあったわけでもなさそうで、そもそもなぜ上京したのかはよくわからず…。

そして、結局最後まで和人と親の関係については触れられることなく映画は終わってしまいました。まぁおまけみたいな設定なのかもしれないけど、なんとなく回収されずに終わったな〜感を感じました。


タケルと沙苗はなぜ破局した??

これは『和人と親の関係未回収問題』と比べたら、更にどうでもイイ話ではあるんですが、タケルと沙苗ってめちゃめちゃお似合いのカップルだな〜と思ったので、まさかあんなに相性バツグンそうな2人が最後の最後で破局していたなんて、少々驚きました。

なんとなく仕事に集中したいから的なことを沙苗は言っていたけれど、『なんで別れてしまったのか?』もう少し詳しく知りたいとこではありました。(ただ、それこそ物語の本筋には影響しない話なので、あくまで個人的興味です)

でも逆にいえば、こんなに相性良さげな2人でもうまくいかないというところに、ある種のリアリティーを感じたことも事実です。


正直、この後の和人の人生の方が気になる件

物語的には、茉莉という1人の女性の人生は終わり、映画は終わったわけだけど、和人の人生ってこれからも続いていくわけで…。

和人にとっては、死のうと思っていた自分に生きる意欲を与えてくれた存在が茉莉であり、恋に落ちてからは茉莉の存在そのものが和人の生きる意味だったわけです。

そんな『生きる意味』であった茉莉亡き後、和人はどんな人生を歩んでいくんだろうか?自分の居酒屋の名前を『まつり』と命名しちゃってるくらい"死ぬまで茉莉のことを忘れられない感"が出ているけど、和人はこの先の人生でまた別の誰かに恋をしたりするのだろうか?というか、出来るのだろうか??

まぁ今回の映画は『余命宣告された女性の生き様』にスポットを当てた作品だったわけだから、和人のその後について言及されなくても何も問題はないわけだけど、おそらく僕個人としては『残された人間のその後』の方がテーマとして興味があるんだろうなって思いました。ただの自己分析ですね😅


桜の使われ方が効果的✨

この作品、最初のシーンもラストシーンも桜が登場するのですが、それ以外にも、要所要所で桜が使われています。

これって、桜の花が持つ『儚さ、美しさ』みたいな印象を『人生の儚さ、美しさ』みたいなものと重ね合わせているのかな?という印象を受けました。

そして、すごく印象に残る場面で桜を登場させているから、より強くそういう風に感じたというか、非常に使い方が上手いなと思いました。

なんかちょっと偉そうな言い方w


死を受け入れるって行為は健康体な状況では想像できないと気付く

『そろそろ死ぬ準備をしなきゃ』と言って、茉莉は和人と別れるのだけど、『死ぬ準備』って、今の自分には全く想像ができなかった。

ここで茉莉が言っている『死ぬ準備』って、高齢者が平均的な寿命を見越して行ういわゆる『終活』とは、似ているようで意味合いが全然違うなと感じた。

そもそも、人はこの世に生まれてくるタイミングも、この世を去るタイミングも選べない生き物だ。けれど、現代では医学の進歩によって、病気に冒された人の中には『余命』という、おおよその死のタイミングを知らされてしまう人がいる。

これって、人が生まれて死んでいく過程において、すごくイレギュラーな事態であって、人類の遺伝子的にも耐性がないことだから、自然と受け入れられることではないんじゃないかなと思った。

だから『死ぬ準備をする』なんて言われても、実際に自分ごととしては想像ができないし、受け入れることも出来ないのかなと。

だから、あの場面で『茉莉はどんな気持ちであの言葉を発したのかな』と思うと、ひたすら胸が苦しくなるシーンでした。


ニュアンスが全然違う2つのグッときたシーンについて

ひとつは、和人に別れを告げた後、帰宅した茉莉が『死にたくない』と母親の前ではじめて弱音を爆発させたシーン。

このシーンは、グッときてしまい泣きそうになりました。お父さん役の松重さんが2人の会話を聞きながら涙を流すとこも良かった😢

このシーンで、茉莉が『まだ親孝行もしてないし』と言うのだけど、このシーンを観た時にふと、『子供ってこの世に生まれてきただけで、それが親孝行なんじゃないかな』と、なぜだか急に思ったりしました。めっちゃ綺麗事かもですが…苦笑


あと、もうひとつグッと来たシーンは、和人の告白を茉莉が受け入れ、茉莉が和人に抱きつくシーンの…

坂口くんのうなじのホクロとうなじの毛(笑)

色っぽいというか、見惚れてしまいました😍

作品は違いますが、チェリまほの黒沢が『うなじのホクロめっちゃエロい』って言ってた気持ち…今更ながらわかった気がします(笑)

うなじのホクロ…侮れん💦


ベストな生き方ってなんなんだろう

この作品を通じて『生きるってなんなんだろう??』って非常に考えさせられました。そして、答えは出ません(笑)ただ、さっき書いたこととも重複するかもですが、もともと人間って自分の意思で生まれてきているわけではないから、『生かされている存在』なんだよなと。

だから『なんで生きているのか?』とか、崇高なことを考えること自体が烏滸がましいような気もしました😅

でも『どう生きるか?』という決定権は、それぞれの人間に委ねられているわけで…。


"いつまで生きられるかは誰もわからないけど、その瞬間が来るまでは好きなように生きてイイよ"

って、神様は優しいんだかドSなんだかよくわからない…。だからこそ、

『悔いなく生涯を終えるってめちゃめちゃ難しくないか?』

って思いました。


この作品で、茉莉は死ぬことを受け入れるために『生きることに執着しないように』生きてました。たしかに、生きることに執着してしまったら、後悔なく生き切ることって、ものすごく難しい。

だけど、生きることに全く執着しなくなってしまったら、本当の意味で人間らしく生きているとは言えないし、それこそ劇中の和人のように死んでしまいたくなるのだと思う。

そう考えると、明日はまた来ると信じながら、志半ばで死んでいくことが実は幸せなのか?って思ったり。それだと最悪成仏できない気もするが…w


いまだに答えは出ないのですが、

『"生きることに執着しない"のちょうど良い塩梅』

って難しいなぁと感じさせられた映画でした。

でもこういうことを考えるの案外嫌いではない(笑)


余談ですが、この映画をおそらく中学生?と思われる男の子や女の子が見に来ていたのですが、映画が終わった後に『泣けた』だの『泣けなかった』だの話している光景を見て、『最近の中学生ってませてるな〜』とオジサンは思ってしまいましたとさ😅自分が中学生の時なんて、まだまだ恋愛なんて全然興味なかったけどなぁ…最近のお子様たちは早熟なのですね。知らんけど(笑)


というわけで、期待ほどではなかったとか言いつつも、なんだかんだ満足はできた映画な気はします。その証拠に、帰りはRADWIMPSの『うるうびと』を聴きつつ、余韻に浸りながら帰った僕なのでした

※画像引用元はYouTube/映画『余命10年』本予告•特報より