最近、うちの会社ヤバいなぁと思う。色んな部署で病休者が続出していて、その穴を埋めるべく、緊急的な人事異動が頻繁に行われている。僕が以前いた部署でも、病休者が出てしまったらしい。


その話を聞いたとき、病休に入ってしまった人には申し訳ないと思いつつも、『あぁやっぱりな』と思ってしまった。僕も体調を悪くしながら、ギリギリのところで何とかやり過ごしていた日々だったので、いつ病休者が出ても不思議じゃないよなとは思っていた。けど、それは"自分の力量が足りないせいなのかもしれない"とも思っていたから、いざこうして病休者が出てしまったという現実を知ると、"自分の力量のせいじゃなかったんだ"とわかり、本当に不謹慎なんだけど、正直ちょっと嬉しかった。なんというか、『やっぱり自分頑張ってたんだな。うん、頑張ってたんだよ』と、今更ながらここまで何とか乗り越えてきた自分をちょっと肯定する感情が生まれてしまった。体調を崩して休んでいる人がいるというのに、そんなこと思ってしまうなんて、ホント最低な人間なのですが…。とにかく、体調を崩してしまった人には、まずはゆっくり休んでもらいたい。そして、それと同時に、その間穴埋めをする残された人々のことも心配になる。また誰か次の犠牲者が出る前に、うちの会社の人事、マジで人員配置とか体制をしっかり考え直した方がイイと思う…。


そんな中、僕の後輩にも、急遽異動が決まった奴がいる。その後輩に対して『頑張り過ぎない程度に頑張ってね』とか『程々に頑張ってね』とか、色んな人が声をかけているのが聞こえてきた。みんなその後輩が潰れないように、心配してエールを送ってるんだと思うけど、なんだか僕には、その言葉たちがとても残酷な言葉に聞こえてしまった。


結局のところ、みんながかけている言葉って、ニュアンスの違いはあれど『頑張れ』ということだ。思うんだけど、『頑張れ』って声をかけられる人って、ほとんどの場合、既に頑張っているか、言われなくても自ら頑張る人のように僕は思う。だからこそ、なにも追い討ちをかけるように、わざわざ『頑張れ』と言うなんて、結構残酷なことだよなぁと僕は思ってしまったのだ。もちろん、言っている人達に悪気がないこともわかるのだけど…。なんで僕がそんな風に感じてしまったか?と言うと、実は先日こんなことがあった。


先日、今かなり大変な部署で仕事をしている親しい後輩と久々に話をする機会があった。僕は、彼が大変な状況に置かれていることを当然知っていたので、『大丈夫…なわけないよね…』と、なんと言ったらいいかわからず、その後の言葉が続かなかった。そして思わず、『ごめん、かける言葉もないっていうか、ホントなんて言ったらいいかわからないんだけどさ…』と言ってしまった。


すると、その後輩は『いや、むしろそう言ってくださる方がいいです』と返してきた。その言葉の真意がわからず、僕が『えっ?』と聞き返すと、その後輩は『みなさん心配して"潰れない程度に頑張ってね"とか"程々に頑張るんだよ"とか、言ってくださるんですけど、正直余裕がない時だと"じゃあ代わりにやってくれるのかよ"ってイラつくことも多くて。なので、今はそう言われる方が有難いです』と、その言葉の真意を教えてくれた。


この言葉を聞いた時、僕は、彼の気持ちが手に取るようにわかる気がした。僕も以前の部署で、いつ倒れるかわからない不安を抱えながら仕事をしていた頃、周りからの励ましの言葉を鬱陶しく思ったり、苛立ちを覚えていた。ましてや『どうせやるんなら仕事は楽しんでやらないと』みたいなスーパーポジティブな発言をしてくる族もいたので、そんな奴のことは、脳内で何回殺したかわかりません…。


今にして思えば、みんな悪気なく励まそうと思って、かけてくれた言葉なんだと思います。余裕がある時は、言葉を額面通りに受け取ることができる。ただ、人ってホントに追い詰められてる時は、言葉に込められた相手の想いとか、イチイチ考えてる余裕なんてないんですよね。


言葉ってホント難しいと思います。言った本人にそんなつもりはなくても、受け取る側の状況によっては、言った側の単なる自己満、自分本位な発言としか受け取れないことだってある。言葉の評価をするのは、いつだってその言葉を受け取る側だ。だから、発言をする側には、聞き手が置かれている状況や、聞き手がどんな言葉を求めているのか?こんな発言をしたらどんな風に受け止めるだろうか?といった"想像力"が不可欠だと思う。全ての会話において深く考え過ぎてたら、会話が苦痛になってしまうけれど、少なからず、ホントに苦しんでる人、悩んでる人、弱ってる人に対して投じる言葉に関しては、やはりそういった配慮が必要だよなぁと、その後輩とのやりとりの中で改めて考えさせられた。


"寄り添う"って、聞こえのいい言葉だけれど、本当の意味で相手に寄り添うって、実はものすごく難しいことだなぁと思う。そもそも、誰一人として同じ人間はいないわけで、実際には寸分の狂いもなく、寄り添うことなんて不可能なわけです。だから、誰かに寄り添うってことは、相手の気持ちを最大限に想像することなんだろうなって思う。やはり大事なのは、想像力ってことなんだろうなぁ。


これから激務の部署へ異動する後輩、既に激務の部署で奮闘する後輩。彼らに僕が出来ることってなんだろうか?こんなご時世でなければ、僕だったら、パーッと飲みに行ったり、カラオケに行ったり、一時でも現実から離れる時間を作ってあげたいなと思うんですけどね。気の利いた言葉は思い付きそうにもないし、僕自身、ホントに荒れていた時は、ただただ側にいて、朝まで愚痴を聞いて酒に付き合ってくれた先輩、後輩、同僚の存在にホント救われたので…😅でも、それが出来ない今、彼らに僕が出来ることなんて何もないけれど、せめて"個"ではあるけど"孤"にはしないよう、そっと見守りながら、彼らからSOSが発せられた時には、すぐに気付いてあげられるような存在では在りたいなと思っています。シンプルに"生きるって大変だな"と思わされた今日この頃です💦