前にも書いたように、正月はヒマを持て余していた。見かねたのだろうか、兄が映画を観にいこうと声をかけてくれた。それも、家から少し離れた中心繁華街の一番館である。一も二もない。早く出かけようと、兄の手を引っ張った。

 一番館で上映していたのはゲーリー・クーパー「遠い太鼓」。スマートでノーブルな雰囲気を纏うこの俳優は、子供の私にはちょっと距離があり、映画も見慣れた西部劇とは毛色が違う大人の雰囲気が漂う。それに映画館も、行きなれた下町の二、三流館とは違ってあか抜けた佇まい。セメント張りの通路に座って観るのとは違い座席のクッションも快適。映画にふさわしい上品さだ。

 今から判断すれば、アクションが売り物の映画に違いないのだが、それでも西部の荒んだ町の酒場で、訳アリの荒くれ物と正義の保安官が対峙するガンファイトを見慣れた小学生には異色の臭いがする。だから、最初は映画に没入するまでには至らなかったが、見せ場がやってきてたちまち心をつかまれた。記憶に残っているのは、インディアンの族長とクーパーが水中で決闘するシーンだった。短刀を口に咥えて潜ったり息継ぎで水面に顔を出したしながら、長い決闘である。見慣れたガンファイトとは違う新鮮さとリアル感があって、たちまち、クーパーはわがシネマヒーローの一員に加わった。

 そのゲーリー・クーパーに再開してのは、その時から20年以上経ってからである。なんと、遠い太鼓と同じ映画館だった。映画は「昼下がりの情事」。オードリー・ヘップパーンがお相手。いや、人気絶好調のヘップパーンの引き立て役ともいえた。もちろん、ガンも短刀も携わず、初老の落ち着きと魅力を発揮していた。ファシネーションの主題歌が効果的に流れ、なんとも甘い雰囲気に包まれた名画だった。ゲーリー・クーパーの魅力を再発見した思いだった。それに、何より重要なのは、その時私の座席の隣にいたのが現在の妻だったこと。結婚から現在の暮らしに至るきっかけの映画だったのである。