週刊誌には、評論家や有名人の映画評が掲載され、分厚い月刊誌などでは、季節の区切りで”私のベスト5映画”などが出る。「この人がこんな映画が好みなんだ」と誰彼の映画履歴を興味深く読み比べてしまう。映画や音楽や小説は確かに、その人の人格形成に多大の影響を及ぼしていることがわかる。映画に限っても、そのドラマツオルギーに、キャストに、キャメラに心奪われ、大人になっても少年の時に受けた映像の影響が抜けきれないでいることに気づく。映像の衝撃は大きく納豆のように粘っこく後に引く。

 よく言われることだが、高倉健や鶴田浩二の任侠映画をオールナイトで観終わった観客は皆が皆、肩怒らせ眉間にしわ寄せて劇場から出てくる、と。それほどのものなのであるからして「舐めたらアカンぜよ」。しかし、こうした映画のインパクトも人によってさまざま。そして、選評で語られるのは当然ながら映画の中身に限られるが、ワタシ個人の映画評では、映画以外の要素が混じる。映画を誰と見たか、とか映画館の環境、もっと微細に言えば、その時の映画館の椅子の座り心地などが後々の印象を左右する。

 東京で言えば「下町」の地方都市で過ごしたワタシの少年時代の映画鑑賞は、今とは比較にならない劣悪なものだった。まず、3本立て上映は当たり前。途中入場など気にかけたこともない。人気の映画は満員で立ち見が当たり前、それもセメント仕上げの冷たい通路に座ったままを強いられる。隣の人のセンベイ齧る音に悩まされたり、贔屓の役者の出番に声援を送る人だって。そんな中での鑑賞だ。

 伴淳三郎ことバンジュンの「二等兵物語」で、散々いじめられた上官に堪忍袋の緒を切って反抗するシーンでは、場内に割れんばかりの拍手が鳴り響いた。また、時代劇で窮地に立った主人公のあわやの時に、御用提灯の波が押し寄せるシーンでも万雷の拍手だった。こんな鑑賞環境だったから、町の中心の一番館で観る映画は、映画そのものに付加価値が付いたのである。それはどのようなものだったかは、また明日に。