笑福亭ベ瓶の破門人生❶1回目の破門は、仲の良い同級生に頼まれた仕事を受けて、師匠が怒った❗️
19歳で、関西学院大学をやめて、鶴瓶師匠に入門した。2002年。
修行中、3分とか5分とか、短い遅刻を繰り返していた。鶴瓶師匠のイライラがたまっていて、それが頂点に達したとき、また5分くらい遅れた。
その時、師匠の家には原付バイクで通っていたが、
【シャボン玉が飛んだきて、目に入って、目を洗ってました】と答えてしまった。
特に面白くもないことを言ってしまい、
師匠から【そのシャボン玉の家に連れて行け】と言われた。
そんなこんなで、
細かいしくじりに寝坊が加わって、
師匠に【お前、やめさせたらーー】とよく言われた❗️
大阪は、東京と違って、色んな落語家が出る寄席がないから、師匠と弟子は、1対1の関係で、他の一門など誰も助けてくれない。(天満天神繁昌亭ができる前)
⭕️1回目の破門は、入門して3年目の2005年❗️
年季が明ける前、前座の終わり頃、
師匠が奥さんとハワイへ行った。
前座にとってはお世話する必要もないし、天国のようなタイミングだった。
高校・大学と仲の良い同級生から、【三宮からクルーズ船が出て、卒業前の大学4年生が集まってパーティをやる予定。ボランティアで、舞台に出てくれないか】と頼まれて、行くことにした❗️
お手伝いには、簡単な説明をして、原付バイクで向かっていた。
そんな時、
全く電話なんかしてこない師匠から、
西宮の家に電話がかかってきて、
瓶成(へいせい・当時のベ瓶さんの芸名)はどうした、と聞いてきたが、
お手伝いさんは、答えられなかった⁉️
その時のベ瓶は❗️
原付バイクで移動中で、
電話には、師匠からの連絡が、いっぱい入っていた❗️
そこで、師匠に電話すると、
師匠は【何してるんや❗️松竹芸能にも電話しといたから】と言って、切れた。
すると、松竹芸能から電話があり、
【破門と聞きましたので、
プロフィールから削除させていただきます】とビジネスライクで事務的なソッケナイ電話が。
師匠は【松竹芸能に、あいつは事務所に勝手に連絡もせんと仕事に行ってるぞ】と電話し、松竹芸能も怒ってる状態。
そこで、ベ瓶は、松竹芸能に電話し、
【ボランティアで行くので、金はもらわない。仲の良い同級生から頼まれただけ。
主催社の人にも、金はとらない、無理矢理お願いしたのはこちらと、松竹芸能に報告してもらった】❗️
で、松竹芸能は、分かってくれた❗️
師匠は、その4日後に帰って来た。
ベ瓶が頼んで、
主催社の同級生が、師匠に手紙を書いてくれて、
【瓶成さんは、最初断られたのですが、何とか是非お願いしたい❗️とこちらが無理矢理お願いして、こうなったのです。】
師匠から、ベ瓶に電話があり、
【とにかく、お前、明日の朝、来い❗️】
次の日の朝、師匠に会い、許された❗️
これが3回、破門された中の1回目❗️でした。