く音楽エピソードの宝箱【エリック・サティ】生涯たった一度の恋。最後の作品での子供っぽいイタズラ❗️




✳️ドラマティックな人生を送った音楽家(作曲家、歌手とか)が多く、彼らの曲を聴くときに知っておくと、感動がより深まるため、記す。




🔴エリック・サティ。

ノルマンディー地方の海運業者の息子として、

1866年5月17日に生まれた。


6歳の時、スコットランド系の母親を亡くしたサティは寄宿学校に預けられ、やがて祖父母に引き取られたが、1878年、12歳の時に、祖母が溺死した。


父親は彼を連れてパリに出て、ピアノ教師と結婚した。この継母がサティにピアノを教えてくれ、彼をパリ音楽院に送り込んだ。


幼い時に母親を亡くした彼は、女性と接するのが大の苦手だった。しかも全くの赤貧生活だから女性とは無縁。


🟣そんな彼も、27歳の時、生涯たった一度だけのロマンスの花を咲かせる❣️

相手は、シュザンヌ・ヴァラドンという絵筆を持つ女性だった❗️

彼女の描いたサティの肖像画は、有名なものだ。

シュザンヌは、サティと一緒に暮らし始めた時、

以前の恋の形見の10歳になる男の子を連れていた。

孤独だったサティは、その子を可愛がったのに、

ある日、母子は忽然と姿を消して、彼を悲しませた❗️

後年、その子も母親と同じく画家となった❗️

モーリス・ユトリロだった‼️


1905年、39歳になったサティは、突然、一念発起した❗️

作曲家ヴァンサン・ダンディの主宰するスコラ・カントルムに入学し、ルーセルとダンディに師事して、

対位法を学び始めた❗️

3年後、見事な最優秀の成績を収めて、卒業した❗️


その頃から、彼の名前が上がり始め、若い作曲家たちが集まるようになった‼️

デュレー、ミヨー、オネゲル、タイユフール、プーランク、オーリックたちを、【フランス6人組】❗️と

呼ばれている。

彼らの若いエネルギーは、サティの創作力を刺激した❗️


1915年、サティは、ディアギレフの率いるロシアバレエ団のために、ピカソの舞台美術による【パラード】の音楽を書いた❗️

それは、サイレン、タイプライター、飛行機のエンジン音、銃声などを取り入れた斬新でユニークな作品だった❗️


晩年のサティは、

交響的ドラマ【ソクラテス】、環境音楽の先駆的実践【家具の音楽】などを書いた❗️




🟡最後の作品は、2幕バレエ【本日休演】である。 


サティは、公演日まで新作の作品名を発表しないでおいて、当日、劇場の入り口に、【本日休演】と大書した紙を貼り出す❗️

開演時間が近づき、劇場にやってきた人々は、この貼り紙を見て、憤然として帰ってゆく。

それを物陰からこっそり観察し、

サティは腹を抱えて笑った‼️


だが、肝硬変がすでに彼を蝕んでいた❗️


伝説の奇人は、このいたずらを最後として、

1925年7月1日、パリで59歳の一生を終えた‼️