高峰秀子と黒澤明の関係を、後輩助監督・堀川弘通から見た目で、つづった❗️その裏の真相まで❗️




⚫︎映画監督・堀川弘通の本『評伝 黒澤明』から引用

(第11回ドゥマゴ文学賞 受賞)

〜〜本の帯/世界のクロサワを支えた名監督が明かす巨匠の知られざる人生像






映画『馬』の「曲がり家」のセット撮影は、1ヶ月近くかかった。


山本嘉次郎組の撮影風景を紹介する。


父親の藤原釜足が黙々と、縄を編んでいる。

冬の夜である。


娘役の高峰秀子が馬に飼葉をやっている。

母親役の竹久千恵子が一人ガミガミ、子供たちを怒鳴り散らす。


『カット・・・・・OK』

『山さん。・・・・もう一度やりましょうよ』

とクロさん。


『デコの周りを気にする様子が、もっとハッキリ出てもいいんじゃないですか❓』

『そうね。もう一度、いこうか、デコいいね❓』

『ハイ』


こんな光景がしばしば繰り返される。


これではどちらが監督かと思われそうだが、山さんはクロさんをそれほど信頼し、スタッフもそれを快く受け入れているのである。


クロさんは「こうしてスタッフを統率する力を山さんから学んだ」と述べている。


また、こんなこともあった。

高峰秀子がある日、その日に限って演技がしどろもどろで、ついに撮影を中止したことがある。


というのは、山さんの妹とクロさんとはかねてから噂があった仲だが、その日、妹がたまたま撮影見学に来たことで騒動は始まった。


デコちゃんがすねて芝居にならないのである。


スタッフも奇妙な顔をするし、監督も困惑。


クロさんもついに「今日の撮影は中止」と宣言した。


ということは、デコちゃんは、二人の中を疑って嫉妬したのである。


デコちゃんはそれほど思いつめていたのである。


デコちゃんとクロさんの仲が公然化するのは時間の問題だった。


クロさんが、女性たちに人気があるのは当たり前だった。

長身、ルックス、どれをとっても文句なし。


その上、仕事の上でも『馬』が完成したら、次は監督昇進と自他共に認めるところだった。


1941年(昭和16年)の秋であったか、クロさんと飲んで山さんの家に二人で泊めてもらったことがあった。


翌朝、起きると、山さんとクロさんが深刻な顔をして、新聞を前にしていた。


《高峰秀子と助監督・婚約》の新聞記事が出たのである。


新聞記事の出る前日、山本邸に泊まるということは偶然であろうか、

クロさんは新聞記事を予期していたのではないか、と思った。


クロさんは山さんとこの朝、善後処置を相談したのだと私は思っている。


婚約報道は、秀子の養母が「助監督風情に、娘はやれぬ」と強硬に反対したことて知られているが、一方、クロさんも結婚までは考えていなかったと思う。


なにしろ、クロさんは30歳、秀子は17歳の時だった。


「秀子は結婚には早すぎる」ということで事件は落ち着いた。


クロさんは秀子に対して非難がましいことは、私には何一つ話したことはなかったが、

ただ当時、俳優課長だった平尾郁次に対してだけは、激しい嫌悪の感情を言葉にした。


私も平尾とは面識があったが、痩せ型の目の細い、いつも黒服に黒ネクタイという宣教師のような優しい男だった。

それが何ゆえ、クロさんの嫌悪の対象となるのだろう。

私は不思議だった。


だがクロさんは、『あの新聞報道だって、彼がやったことではないのか❗️あいつは俺たちの間を悪い方へ、悪い方へと向けた張本人だ‼️不潔な野郎

だ』と唾でも吐きかけたくなるような口調だった。


私は当時、『それほどまて言わなくても』という感じだったが、

秀子の『私の渡世日記』を読んで、

初めて秀子と平尾のその後のただならぬ関係を知って納得した。


クロさんは、この間の空気を敏感に感じとっていたのだ。


これは、後日談だか、

矢口陽子(黒澤の妻)によれば、

矢口がクロさんと結婚後、撮影所の中庭でクロさんのためにセーターを編んでいたら、わざわざ近寄ってきた秀子が、そのセーターをつくづく見て「大きいねえ」と言って去って行ったとのことである。


この一言は、何を意味するのだろうか❓


秀子のクロさんへの想いを語って、なかなか味わいが深い⁉️


一方、クロさんの方はその後、秀子のことを語ることはほとんどなかった。


しょせん、成立するはずもない結婚と決めていたようだ。


この事件が踏み台のようになって、仕事(シナリオ)にいっそう力が入るようになった。


彼は今や監督昇進第1作で頭がいっぱいだった。


その第1作とは、富田常雄原作の小説『姿三四郎』の映画化である❗️


〜〜高峰秀子について。


🔴黒澤明が唯一、高峰秀子に出演交渉したのが、『醜聞(スキャンダル)』だった。

結局、高峰のスケジュールが合わないという理由で、実現しなかった。

🔴昭和16年の高峰秀子自宅軟禁事件が起きて、

その結果、黒澤明の監督デビュー作品が、

高峰秀子出演の石坂洋次郎ものを作るはずだったが、中止になった。


【高峰秀子について】は、モルモット吉田のCINEMORE「黒澤明監督版『東京オリンピック』はなぜ実現しなかったのか」から引用。

モルモット吉田の本『映画評論・入門』他。