世界の製薬大手が画期的な新薬開発に行き詰まるなか、
なぜ小野薬が生み出せたのか。
1つは関西の1人の研究者の存在がある。
「PD―1」という分子を京都大学の本庶佑名誉教授らの研究チームが発見したのは1992年だ。
小野薬もこの分子に目をつけ、共同研究を進めた。
PD―1が免疫抑制に関わっている仕組みが分かったのは99年で、
創薬の研究開発が本格的に始まるまでにおよそ7年。
実際の治療薬候補が完成し治験が始まったのは2006年で、開発から実用化までにおよそ15年かかったことになる。
当時は「免疫療法は効果が弱い」「切った(手術)方が早い」など免疫療法に対する医療業界の反応は冷ややかだった。
医師や学会だけでなく、数々の抗がん剤を実用化した製薬大手も開発に消極的だった。
そんな中で小野薬だけが“しぶとく”開発を続けてきた背景には
「機能が分からなくても、珍しい機能を持つ分子を見つけ、何らかの治療薬につなげるという企業文化があった」(粟田浩開発本部長兼取締役)という。
もともと小野薬は極めて研究開発志向の強い会社だ。
売上高(14年3月期は1432億円)に対する研究開発比率は国内製薬メーカーでは断トツの30%台だ。
しかもがん治療薬は初めて参入する分野で、「かならず成果を出す」という研究者の意欲も高かった。
小野薬は血流改善薬「オパルモン」とアレルギー性疾患治療薬「オノン」の
2つの主要薬で高収益を維持した。
だが、特許切れやジェネリックの攻勢で陰りが出てきたところでもあった。
免疫療法に対する風向きが変わり始めたのは米国で抗PD―1抗体の治験が始まった06年からだ。
一般的な抗がん剤はがんの増殖を抑える仕組みのため数年で耐性ができ、結局は延命効果しかない。
しかし抗PD―1抗体で「がんを根治できる可能性も出てきた」
(河上教授)。
■年間数百億円のロイヤルティー効果
副作用が少ないうえ、がんの増殖を止める、小さくする、消滅させる――。
そうした治験結果が出始めたことで、国内外の研究者、製薬企業の免疫療法に対する見方が大きく変わった。
ただ、効果が出ていない人も一定の割合で存在する。
その場合は「他の抗がん剤や免疫療法と組み合わせれば、効果が上がる可能性がある」(粟田本部長)という。
足元の業績が低迷するなか、ニボルマブ効果で小野薬の市場評価は高まっている。
昨年10月時点で6000円前後だった株価は今年に入って急騰。23日の終値は9340円とわずか1年足らずで3000円以上伸びた。
アナリストも「今後数年でロイヤルティーだけで年数百億円は堅い」と分析する。
小野薬の相良暁社長も「10年先を支える薬になるだろう」と自信をみせる。
ただメルク、ロシュなどが同じ仕組みの抗PD―1抗体の治験を拡大しており、国際競争に巻き込まれる可能性も高い。
一方で他の製薬大手から小野薬がM&Aの標的となる懸念もある。
その意味で同社が置かれている環境は必ずしも楽観視できない。
がんの新たな治療法の扉を開けた小野薬。日本発の免疫薬に世界の目が注がれている。
以上
私の主治医(某医療機関の腫瘍内科専門医)は、既に2年前からこの新薬の凄さを評価していました。 RESPECTします!!
御参考まで。
免疫細胞療法成功日記クンより