数ある夜を乗り越えてきた。

運命の人に出会った瞬間のような衝撃。

これだ。と思えた夜だった。

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僕がパーティーを主催するようになったのは確か大学4年生、自身の誕生日。笑


深夜のクラブを貸し切り、友人のDJやシンガー、ラッパーをゲストとして招き、自らもライブした。

それはそれは楽しい夜だった。

話は飛ぶが、卒業後に上京、現在のメンバー達とバンドを組んだ。

バンドの知名度が今よりもずっと低かった頃
僕は都内でパーティーを少しずつ続けた。

ここには書けないような失敗もある。笑

というか、失敗だらけだ。

バンド組んで3年、THREE1989に改名。

好きな事。
つまり音楽を仕事に出来てはいたが
その中でも純粋に好きな事を歌いたかったが故の改名、ジャンル変更だった。

世間的な括られ方はシティポップというジャンル。

今や日本で多くの人がこのジャンルを好んで聴いてはライブハウスへ足を運んでいる。

その為、ライブ活動は自ずとクラブからライブハウスへと変化していった。

基本的にライブハウスでは、大体4-5バンドが対バン形式でライブしていくというイメージ。

バンドとバンドの間には、転換と呼ばれる時間がある。

お客様への休憩時間とも捉えられるが、一つ前のバンドがせっかく作ったマジックアワーがリセットされているように感じたし、一つ一つのバンドのブッキングがあまり考えられていない対バンでは生まれるものも少ないと感じた。

批判のように聞こえるかもしれないが決してそうではなく、僕はどちらかというとクラブの様に、音が止まらず、マジックアワーが延々と続くイベントが好きだった。

クラブ。
まだまだ不安や恐れを抱くという人も多いと聞く。

実質、僕らTHREE1989のライブへ来たお客様の中にはクラブは無論ライブハウス自体が初めてだという方も少なくない。

アルバムを3作発売し、初の全国(韓国・台湾も含む)ツアーを行い、結成から3年の時を経て、僕はもう一度クラブという場所でイベントを主催してみたくなった。

2019.05.22(wed)

ツアーのアフターパーティーと称して中目黒のクラブSolfaにてクラブイベントを敢行。

果たしてTHREE1989のお客様がクラブイベントに来て、楽しんでもらえるか。

不安もあった。

DJには兼ねてより親交のある地元の仲間や、ツアーを共にした地方の主催者を、そして海外へも目を向けているTHREE1989にとって今だからこそ対バンしたい相手をシンガポールから招いた。

ブッキングにはこだわりたかったが故の出演陣だ。

午後6時30分。

Solfaの扉が開くと共に、並んでくださっていたお客様がズンズンッと入ってきた。

緩やかなDJの音に揺られながら、Barカウンターでお酒を頼み、フロアにいる僕らのところへ集まってくれて小話をした。

30分にも満たない時間で会場は満員になった。

一安心。

2時間程たち、僕らはライブをした。

ステージが無く、フロアでの、クラブならではのゼロ距離ライブ。

もちろん汗も飛ぶ。笑

ツアー初日、渋谷の大きなライブハウスで行なったワンマンライブとはまた別の高揚感に駆られた。

自身の中の野生がもう一度目覚めたかのように思えた。

ライブ終演後、DJの選曲に合わせてパーティーは続く。

これまでの対バンでは、お目当てのバンドの演奏が終わると帰るお客様も少なくなかったので、皆んな残ってくれるか心配だった。

しかし、そんな心配などよそに溢れんばかりの笑顔と歓声で音楽を浴びるお客様がそこには居た。

その光景を目にした瞬間。
初めてクラブイベントを主催したあの夜と、この夜が地続きで繋がってるように感じた。

自分がどこの世界にも属さず、過去と未来を自由に行き来できる感覚。

まさにタイムトラベルした気分だった。

結局、パーティーが終わるまで殆どのお客様が居てくれた。

皆んな、この夜が終わらなければいいのに。

そんな顔を僕に見せながら、会場を後にした。

改めて、パーティーというものが起こす奇跡を目の当たりした夜だった。

無論これからも、フェスやライブハウス、そしてメディアなど様々な場所でライブは行っていく。

東京へ来て6年。

色んなところで悲しいニュースを見る。

その殆どが都会に集中している。

なんならニュースにならない事のほうが多いはず。

まだ30歳だけど、音楽に、パーティーに救われた僕だからこそ今出来ることがあると思う。

この時代、世代の中で僕らが、そしてTHREE1989のファンが、そして皆んなが帰ってこれる場所、言わばホームというものを築き上げていけたら良いなと切に願う。

何はともあれ。

ナイスパーティー!