今年も高校球児たちが大奮闘。全国民を魅了して止まない。彼等の魅力の源泉は、一体何なのか。野球というスポーツを超える何かが彼等には宿っている。筋書きの無いドラマとよく言われている。全くその通りで、筋書きどころか、どこからが始まりでどこで終わるかさえ明確ではない。そんな、不確定さも魅力を形作っているに違いない。人は予期せぬ展開にワクワクする。人生なんて、先の分からないことばかり、だからこそ人は未来を少しでも確実なものにしたいという欲求に駆られる。そのこと自体は人間味があっていい。しかし、決まったレールを走る人生なんて、つまらない。自分の限界を勝手に決める人生なんて、もったいない。人は、本能でワクワクドキドキ感を求めている。球児たちのプレーは、そんな気持ちに突き刺さっているのかも知れない。彼等が繰り広げる意外性の物語は、在り来たりの人生を余儀なく歩んでいる多くの国民に感動を与えている。そして彼等の意外性にはもう一つ大きな特徴がある。それは極限でのスーパープレーだ。土壇場での底力だ。何万回練習しようとも会得できないプレーやパフォーマンスが、あの大舞台甲子園で実現する。
間違いなく彼等は試合を楽しみ試合に熱中し試合の中で成長しているのだ。我々は準備八割と言って準備の大切さを説くことが多い。勿論準備の大切さは否定しない。しかし、球児たちを見ているとそれ以上の何かを感じざるを得ない。ただひたすらに、ひたむきに、今この瞬間に全力を傾けること、今この瞬間に熱中すること、今この瞬間を楽しむこと。その尊さを彼等は教えてくれているのではないか。小さな自分を温存しない高校球児たちに心から拍手を贈り続けたい。私は確信している、自分に限界を設けない高校球児たちは、自己新記録を刻み続けると。