50代に入って、面倒くさい長男が家を出てくれて、
今年は次男が自立していく。
あとは、高校生の三男のみ。
育児も先が見えてきた。
この先、私と夫が元気でいることで、
大学までの資金は足りるだろう。
子どもの中学の体操服をパジャマにしていても
幸せに感じるくらい、物欲がなくなってしまった。
朝起きて、ごはんの支度ができて、
弁当もそれぞれ用意して、
犬と一緒に朝の散歩、帰ると、
夫は会社へ、子どもたちはそれぞれ
部活や学校へ行って誰もいない。
そして鍵が閉まってないことに、
「閉めろよー」と腹も立つが、
あぁ今日もみんな元気だった。と幸せに思う。
阪神淡路大震災からあるたびたびの震災や、
瓦が飛びまくった台風、
子どもが小さいときは、夜寝るときも眼鏡をはめて、
おんぶ紐を体に巻いて、寝ていたことを思うと、
今や、私のほうが助けてもらう可能性もありw、
あぁ、屋根があって、布団があったかくて
家はいいねーと、子ども達や犬に話して寝る。
不足がない、ということは、
幸せだということ。
両親が亡くなったときに、家を処分し、
その時のお金はありがたく教育費に回せたし、
高級品を持たない両親の遺品は、すべて処分しても
何の罪悪感もなかった。
お皿や服を高級なもので揃えるより、
料理をしてくれた母の背中や、
いつも同じようにご飯を用意してくれたこと、
弁当はあるのかないのか、聞いてきたこと、
お弁当にいれてくれたスイーツ、
結局はそんなことが思い出になり、
感情が動く。
何者でもない私を、母親の役に配置してくれた子どもたちよ。
三人の息子に怒鳴り散らす私を、
近所の人は何度も虐待かと勘違いしただろう。w
泣いたり笑ったり、ゲロをかぶったり、
熱があってもロキソニンで熱を下げて迎えに行ったり。
私の次の夢は、長男が今の仕事(理容師)で独立し、
私はそこで、庭木係、清掃員として雇ってもらうこと。
給料は必ず払ってもらう。w
庭には、たくさんそのときのために、と
植物を大きく育てているところ。