今日で愛猫がいなくなって1年が経ったらしい。なんとなく記録に残しておくかと思ったのでここに書いておくことにする。

小学校1年生の時にきた貰い猫だった。母親が運転する車の助手席で、おれが膝の上で抱えた小さな段ボールでやってきた。当時はまさか自分が30になるまで一緒にいるとは思わなかったな。かかりつけの獣医師もびっくりするくらい長生きした。約24年。人間で言うと120歳くらいまで生きていたことになる。大学生くらいから「近いうちお別れかな、今年の夏は越せるかな」と思いつつずるずる時が過ぎ、「もしかしてこのままずっといるのでは?」と考え始めた頃だった。

ある日急に元気なくなった。小屋に入ったきり出てこなくなった。目も開けない。寝ているわけではなくて、痛みに耐えてぎゅっと目をつぶるような、そんな感じ。「あー、いよいよだな」と思って、そこから毎日実家に通うことにした。深夜まで働き、実家に寄って声をかけた。2日目だったかに小屋から出てきた。さらには歩き回るように。次の日に寄ると部屋から出て廊下でくつろいでいた。「もしかして単なる一時期な体調不良なだけで持ち堪えるのでは?」ちょっと安心しつつ期待も半分あり帰宅。

大丈夫かなと思い、翌日の土曜日は朝まで遊び5時くらいに就寝。たしか6時くらい?母親からLINE通話が。やっぱりだめだった。急いで実家へ。いっつも日向ぼっこしてた窓際で横になってる。あーだめ、思い出すと涙出てきた。いつも通り起きて、いつも通り日向ぼっこして、そのまま逝ってしまったのかどうかはわからないけど、半開きになった目は瞼が固まって閉じれなくなってしまっていた。

大抵の場合、こういう時は「なんで逝っちゃうんだよ!もっと一緒にいたかったよ」と泣きじゃくるものなんだけど、ちっともそんな感情にはならず。もう十分でしょ。おつかれさま。がんばったね。ずっと一緒にいてくれてありがとうね。それしかなかった。
そもそも毎日通ったのも、もちろん心配なのはありつつ、なんとなく「これは無理かもしれないな」と思ったからというのもある。「もうすぐさよならだね、ありがとうね」って、内心思いながら毎日顔合わせてた。後悔したくないっていう、おれのセコい保心が功を奏したわけです。

まだまだ蒸し暑い時期だったから早く荼毘に付さねばならず、保冷剤を入れて、一番好きだった胸の部分のふわふわした毛を少し切り、今度はまあまあ大きめの段ボールに入れて、母親が運転する車で家を出た。切った胸の毛は今でも財布の中に大事にしまってある。

さすがに骨にする直前は辛かったが、小さな骨壷に入って帰ってきてからは早い。精進落としに母親と寿司を食べ、そして2人してコロナになった。

つづく