前回のあらすじ


猫いなくなりました。

寿司食べました。

コロナになりました。


以上




本当に散々な年だった。実は火葬場にはつい1,2週間前に来たばかりだった。愛犬がいよいよ怪しくなり、心配で実家に寄り声を掛け、風呂に入っている間に、母親の膝元で逝ってしまった。


長年連れ添ったペットが立て続けにいなくなり、その少し前には結婚を目前に据えた人がもう会わない人になり、全てをぶつける先の仕事も、ぶつけてもキリがないくらいに、降り積もる。そしてコロナ。


もうさすがにいいかなと思った。わけのわからん災難に見舞われまくってきたが、なんとかへこたれず、どこかにやる気を見出して乗り切ってきた。でも乗り越えても乗り越えても、いつまで経っても目の前は開かずさらなる山が立ちはだかる。うんざりだったから終わりにしてしまうことにした。


この文章の前半で「ワタシツラクナカッタヨ」みたいなことを書いた気がしたが、あれは嘘だ。かなり堪えた。荼毘に付したその日の内にお台場に行き浜辺で海を見ていたら、気づいたら真っ暗になっていた。軽く4時間は海を見ていたことになる。


薬で熱が治った頃、「はて、どうやって終わりにしよう?樹海で迷ってそんまま死ぬか」とか考えてた。

厨二病?ちゃうちゃう、絶望してたの。


でも、そんな折にあることに気づいた。

愛猫が逝ってしまう直前の毎日実家に寄っていた時、あいつはどうして急に歩き回るようになったんだろう?

元気になったんじゃない。あれは、おれを心配させないために「あたしゃね、まだこんな歩き回れるヨ。だから心配しちゃあかんヨ」と頑張っていたんじゃないだろうか。

信じられないくらい長く生きて、いよいよ火が消えちゃう時まで、あの子は必死で、例えるならロウソクがぺったんこになって紐がなくなるまで粘って生き続けたわけ。


おれを安心させようとかはわからないけど、そこまで愛猫が頑張ってくれたのに、「あーなんか辛いことばっかだし、元気だけど死にまーす」とかできますか?おれにはとてもとても、そんな失礼なことはできなかった。


今自分が置かれている状況が辛いなら、変えられるようにもっともがいてみるべきでは?そう思った。それでもだめならどうするかまた考えればいい。


そんなわけで職を変えた。やりたいこと、好きなことにどっぷり浸かるようにした。世の中一般の幸せと自分にとっての幸せを切り離して考えるようにした。


あれから1年、いまのところここ数年の中で一番楽だ。


愛猫がまだ側にいた時、何度か「お前こんだけよくしてやってんだからそろそろ大金持ってこいよ」と揶揄ってた。むすーっしていたが、金なんかより大事なことに気づかせてくれたね。


おれは何歳まで生きられるかわからないけど、あの時1分でも長く生きようとしていた愛猫と同じような気持ちでずっとやっていくつもり。


結局何が書きたかったのかよくわからんけどここらで締めときますか。あーハラヘッタ。

またなんか書きたくなったら書きます。ネタはたくさんある。