※当時のブログを一部加筆修正
13日の土曜日、梅雨時期だと云うのに外は晴れて暑い
そのまま広島グリーンアリーナで1列目にてノア観戦
20:08、第7試合GHCタッグ選手権試合、“王者組”彰俊&バイソン vs “挑戦者組”三沢 & 潮崎ゴング!
オレの席でグロッキー状態になってた潮崎に対して、またまたバイソンが鉄柵越えタックルをカマしてきて座席崩壊
20:35、彰俊のバックドロップを受けた三沢社長が固まった***
すぐにレフェリーストップで試合終了
リング上で選手、スタッフが人工呼吸、AEDなどで人工呼吸
鉄柵から身を乗り出して三沢の名前を叫んだ
そこから見えた三沢社長の左手は蒼白かった
そして、顔も***
かなりのヤバさを感じた
救急隊が到着
リング上で本格的な人工呼吸を数セット
タイツ、シューズを脱がされた三沢社長はストレッチャーに乗せられて救急車に…
騒然とする会場
選手会長・森嶋が締めの挨拶で観客は順々に退場
ノアバス付近でジョーさん発見
三沢社長の事を少し聞いてみると、焦った様子はナシ
その少し後、バスに乗り込む選手達にも焦りの様子は見えず三沢社長の無事を勝手に確信
三沢の名前を呼び続けた為か、久々に声が枯れていた
三沢に対してここまで声援したのは、かなり久々だった
メシを食う為に初の猪木酒場へ行くも、数十分待ちを告げられ見送り
安芸ひよっこ商店で、ノア速報を気にしながらの何となくお任せなメシ
24時ジャスト、登録してた個人発行のプロレス系メルマガを読んで目に飛び込んで来たのは
“三沢死亡!”
の文字
ガセネタだと思い信じる気はなかったが、
“今スポーツニュースで”
とあった…
すぐ三沢信者のマチコさんに電話
電話に出た福山在住のマチコさんは泣いていた***
確かにTVニュースでも速報が流れたと***
三沢社長は広大病院に眠っている事を教えてもらった
もう呑気にメシなど食ってる気分にもなれず、取りあえずプロレスな話しが出来るシーブリに直行
ウーロン茶だけで情報収集して、数十分で撤収
タクシーに乗り込み、告げた行き先は広大病院
25時頃??に付いた広大病院の急患入口付近には5~6人の人
話しかけてみると、やはりノアのファンで様々な情報交換
そこで建物から彰俊とスタッフ2名が出てきたが、何も声をかけられなかった
27時前、急患入口付近には誰もいなくなった
その直後、タクシーを独りで降りたオトコ彰俊が建物の中に入って行った
三沢社長との思い出を思い浮かべながら時間を過ごした
もう6月だが、半袖姿のオレに夜の風は涼し過ぎた
29時前、うな垂れた彰俊が独りで建物から出てきた
何か声をかけたくて近づいた
オレ
『彰俊サン!』
立ち止まった斎藤は
『はい…』
オレ
『辛いだろうけど頑張って下さい』
絞り出すように出た声は震えていた
彰俊は
『ありごとうございます』と、一礼をしてまた歩き出した
声をかける方も、かけられる方も辛い
皆、何もかもが辛いのだ
6時前、3人のファンがやってきたので情報交換
その後、プロレスに詳しくない報道関係者が2人来たので情報交換
7時頃、永源部長 & 一平が知人の車に乗せてもらって来た
永源部長に昨日の試合状況の事などを伝えた
この頃からカメラを手にしたマスコミ陣が増え始めた
9時 or 10時前、選手を乗せたノアバスが到着
選手たちは別の入口から建物に入って行った
10時過ぎ何の当てもなく急患入口付近で待機してると、病院の職員が遺体は裏口から搬送される事をコッソリと教えてくれ、そこに案内してくれた
裏口には選手 & スタッフが整列していた
マスコミ陣も集まってきていた
オレはマスコミ陣に紛れ込み、出来るだけ三沢社長に近づける位置をキープした
10時30分前、泣きじゃくる鼓太郎など数名の選手によって三沢社長のご遺体は車に乗せられた
オレは、
ミサワー!
と、3~4度叫び呼びかけた
今まで何度となく三沢コールをしてきたが、こんなに悲しみ色に染まったモノは初めてだった***
選手達は涙しており、他の一般ファン3~4人もみんな無言のお見送りだった
三沢社長の乗った搬送車が動き出した
オレは搬送車が敷地内から見えなくなるまで見送った
選手たちは日曜日の試合会場、福岡へ向かう為にそれぞれがバスに向かって歩き始めていた
小橋の何とも言えない遣る瀬無さそうな表情が印象的だった
最後、泣きじゃくる彰俊が小川に寄り添われて歩きだした
さすがに、何と声をかけていいのか全く分からなかった
14日の日曜日、この日も広島の天気は晴れ
目の前で否応なしに進んでいく事実に対応しながらも、オレ的には
あの三沢社長が!?
と、どうしても納得できずに実感がなかった
それ故か涙はナシ
暑くて悲しい一夜が終わった***
13日の土曜日、梅雨時期だと云うのに外は晴れて暑い
そのまま広島グリーンアリーナで1列目にてノア観戦
20:08、第7試合GHCタッグ選手権試合、“王者組”彰俊&バイソン vs “挑戦者組”三沢 & 潮崎ゴング!
オレの席でグロッキー状態になってた潮崎に対して、またまたバイソンが鉄柵越えタックルをカマしてきて座席崩壊
20:35、彰俊のバックドロップを受けた三沢社長が固まった***
すぐにレフェリーストップで試合終了
リング上で選手、スタッフが人工呼吸、AEDなどで人工呼吸
鉄柵から身を乗り出して三沢の名前を叫んだ
そこから見えた三沢社長の左手は蒼白かった
そして、顔も***
かなりのヤバさを感じた
救急隊が到着
リング上で本格的な人工呼吸を数セット
タイツ、シューズを脱がされた三沢社長はストレッチャーに乗せられて救急車に…
騒然とする会場
選手会長・森嶋が締めの挨拶で観客は順々に退場
ノアバス付近でジョーさん発見
三沢社長の事を少し聞いてみると、焦った様子はナシ
その少し後、バスに乗り込む選手達にも焦りの様子は見えず三沢社長の無事を勝手に確信
三沢の名前を呼び続けた為か、久々に声が枯れていた
三沢に対してここまで声援したのは、かなり久々だった
メシを食う為に初の猪木酒場へ行くも、数十分待ちを告げられ見送り
安芸ひよっこ商店で、ノア速報を気にしながらの何となくお任せなメシ
24時ジャスト、登録してた個人発行のプロレス系メルマガを読んで目に飛び込んで来たのは
“三沢死亡!”
の文字
ガセネタだと思い信じる気はなかったが、
“今スポーツニュースで”
とあった…
すぐ三沢信者のマチコさんに電話
電話に出た福山在住のマチコさんは泣いていた***
確かにTVニュースでも速報が流れたと***
三沢社長は広大病院に眠っている事を教えてもらった
もう呑気にメシなど食ってる気分にもなれず、取りあえずプロレスな話しが出来るシーブリに直行
ウーロン茶だけで情報収集して、数十分で撤収
タクシーに乗り込み、告げた行き先は広大病院
25時頃??に付いた広大病院の急患入口付近には5~6人の人
話しかけてみると、やはりノアのファンで様々な情報交換
そこで建物から彰俊とスタッフ2名が出てきたが、何も声をかけられなかった
27時前、急患入口付近には誰もいなくなった
その直後、タクシーを独りで降りたオトコ彰俊が建物の中に入って行った
三沢社長との思い出を思い浮かべながら時間を過ごした
もう6月だが、半袖姿のオレに夜の風は涼し過ぎた
29時前、うな垂れた彰俊が独りで建物から出てきた
何か声をかけたくて近づいた
オレ
『彰俊サン!』
立ち止まった斎藤は
『はい…』
オレ
『辛いだろうけど頑張って下さい』
絞り出すように出た声は震えていた
彰俊は
『ありごとうございます』と、一礼をしてまた歩き出した
声をかける方も、かけられる方も辛い
皆、何もかもが辛いのだ
6時前、3人のファンがやってきたので情報交換
その後、プロレスに詳しくない報道関係者が2人来たので情報交換
7時頃、永源部長 & 一平が知人の車に乗せてもらって来た
永源部長に昨日の試合状況の事などを伝えた
この頃からカメラを手にしたマスコミ陣が増え始めた
9時 or 10時前、選手を乗せたノアバスが到着
選手たちは別の入口から建物に入って行った
10時過ぎ何の当てもなく急患入口付近で待機してると、病院の職員が遺体は裏口から搬送される事をコッソリと教えてくれ、そこに案内してくれた
裏口には選手 & スタッフが整列していた
マスコミ陣も集まってきていた
オレはマスコミ陣に紛れ込み、出来るだけ三沢社長に近づける位置をキープした
10時30分前、泣きじゃくる鼓太郎など数名の選手によって三沢社長のご遺体は車に乗せられた
オレは、
ミサワー!
と、3~4度叫び呼びかけた
今まで何度となく三沢コールをしてきたが、こんなに悲しみ色に染まったモノは初めてだった***
選手達は涙しており、他の一般ファン3~4人もみんな無言のお見送りだった
三沢社長の乗った搬送車が動き出した
オレは搬送車が敷地内から見えなくなるまで見送った
選手たちは日曜日の試合会場、福岡へ向かう為にそれぞれがバスに向かって歩き始めていた
小橋の何とも言えない遣る瀬無さそうな表情が印象的だった
最後、泣きじゃくる彰俊が小川に寄り添われて歩きだした
さすがに、何と声をかけていいのか全く分からなかった
14日の日曜日、この日も広島の天気は晴れ
目の前で否応なしに進んでいく事実に対応しながらも、オレ的には
あの三沢社長が!?
と、どうしても納得できずに実感がなかった
それ故か涙はナシ
暑くて悲しい一夜が終わった***