教育業界の常識を疑う | 因果倶時

教育業界の常識を疑う

↓は、ここ数日の学校教師関係のセクハラ系事件の流れ


1.熊本の養護学校教諭
これが懲戒免職

2.熊本大学の60歳教授
これが停職15日間

3.秋田県の中学教諭
これが停職3ヶ月

なんか変だ。

1は「ネットで知り合った」中学生とのわいせつ行為。

事情はよく分からないが、その中学生だって悪いじゃないの。
そういうことは一切かかれてないけど。

2、3は、あきらかな破廉恥行為。
学校という場の教師・教授がその立場を利用してセクハラなりわいせつ行為をしたことが明確だ。
なのに、停職処分????


ハー?


どっちが悪いんだっての。


だいたい学校の教諭なり教授という立場のものがこのような事件を起こしておきながら、職場に復帰しようとは、それこそ、それを許している業界も含め、ハレンチにもほどがある。


免職、永久追放にきまってんだろうが!


だいたい、この人たち、なんで逮捕されないんだろ?

はっきり言って、世の中、バランス悪すぎる。

僕は法律の勉強はまともにやったことがないけど、法律で決まっている罰則には、まともに犯した罪に相当する罰を与える、というものと、見せしめ的な罰を与える、というものがあるような気がする。


よく検察とかは、「政界の巨悪を討つ!」とか「巨大企業の悪を断罪する!」なんて息巻いているけれど、たしかにそれも大事だが、まずは身近にある小さな、だけど、人の心身に傷を刻み込むような犯罪を、徹底的に裁くべきだ。

なぜなら政治や企業の犯罪は、一種、「見方」によって変わるもので、そういった犯罪によって社会が成り立っているとか、歴史によって培われてきた慣習、あるいは、外国の標準によって判断すると犯罪になる、という面もあるからだ。

しかし殺人や傷害、性犯罪はまぎれもない重犯罪だ。

とくに性犯罪に対する国と警察の意識は甘すぎる。

ちなみに、保護士をやっているある人によれば、性犯罪者というのは、犯罪者の中でももっとも手に負えない=矯正されないそうだ。

こういった犯罪に対しては、昔の王国がやっていた、ハンムラビ法典的なやり方がふさわしいと思う。

・殺人 → 理由・年齢を問わず、死刑

・性犯罪 → 生殖機能をなくさせる

これでいいんじゃないのか?
大体、この手の犯罪は事情なんか赤の他人が裁けるもんじゃない。
裁こうとするから、間違いがおきる。

刑法は、「おきてしまったことを裁く」ためにあるべきではなく、「犯罪を予防する」という側面をもっと重視して作られるべきではないか?

きっとそういうことも考えられてきたんだろうけど、最近の社会ニュースを見ているかぎり、あまりそういう側面が、効果を発揮しているとは思えない。

ちょっと過激かな?

でも、↑のような教育業界のあまっちょろい自主管理体制を耳にすれば、いい加減にしてくれ、と誰でも言いたくならないか?

参考資料-神戸新聞2002