舞台『希薄』を通して。追記10/10。 | 宮原奨伍オフィシャルブログ「叩けば誇りの出る身体」Powered by Ameba

舞台『希薄』を通して。追記10/10。

9/21


おはようございます。

 

千穐楽を終え、なんとかブログに文字にして残したい、その気持ちのまま書きます。

 

2011年3月11日から7年半をどのように過ごしてきたろうか。

そして、これからどのように過ごしてゆくか。

それを一番に考えています。

 

この舞台の出演は、しょーちゃんこと日野祥太に、きょーちゃんこと植田恭平主催の芝居での出演を観てもらえたこと。完全なコメディーパートを任されていたのですが、その後の『殺しのリハーサル』も観て頂き、今回の孝介を書いてもらえたという流れ、最初はこの東日本大震災を題材にするものでなく、彼の中で様々な出来事、想いの中で今、これを、というお話を受けました。

 

先ず、日野祥太という人について書こうと思います。

彼は、芸術家だと感じる。この題材を扱うに於いて相当に覚悟は要る。しかし彼は、世間への問題提起と共に、それを上回るこれを演劇を通しての表現で、というところに拘っていた。それに表現の”楽しみ”を見出しているところが、僕は大好きだ。かといって、被災され、命を失った多くの方、今もまだ苦しんでいる方への想いがもちろんない訳でなく、しっかりと持っているからこそ、あの脚本が書けたのだと思うのです。

 

今回、主演の植田恭平の提案もあり、座組揃って、少し離れた神社に祈祷を願い、してきました。彼が背負っていたものは、凄まじいもの。それを日々感じながら生きていた。あの日に帰る入り口を開いてくれ続けた恭ちゃん、心からの敬意を持ってます。

 

このペースでは、書ききることはできないな、、、ここまで長くないけれど、想いが沢山出てきます。

 

続けます。

 

この舞台の再演を熱望します。

役者としてこの舞台に携われた事、実際に日本で生きている間に起こった未曾有の地震、忘れてはいけない。

が、僕は忘れて生きてきた時間も多く、この早さで進む日常の中で思い続けることは、やはり難しいです、正直。

この作品に向き合う事が、人をつくるのでは、とさえ思います。多くの役者に演じて、いや生きてほしい。

 

特攻隊を題材にした舞台に同じ役で何度か生きた経験があります。

そこには、事実、同じ日本の先人が経験した、そこに生きていたこと、その想いを感じることができる。

戦争という人災と地震という天災との大きな違いがあるにせよ。史実として残る出来事が、今起きた、起きている、起きていくという事を考えながら生きてゆきたい。

 

思う事の羅列になってしまいますね、、。が、続けます。

 

僕は、色々な作品に出演します。生きる中で感じる、温かみ、優しさ、嘆き、苦しみ、痛み、怒り、喜び、楽しさ、明るさ、悲しみ、どんな作品にも必ずあると思うんです。

 

今回、ご覧頂けた皆さんの感想や想いを”希薄”で検索してひとつひとつ、読ませて頂く中で感じたことを大切にしてゆきます。

ツイッターにも書いたのですが、座組の一人に吉岡茉祐さんという方がおりまして、彼女は震災復興の後押しを掲げアニメ『Wake Up,Girls!』のメンバーとして活動を続けてきた23歳。高校生の頃から積み重ねてきたものが今回に繋がっているのだと思うと、それもすごい力。彼女はいつもどこか冷静を保とうとするしっかりした強さがあったのは、それなのかもしれない。ワグナーと呼ばれるたくさんのファンの方々に、演劇を通して、伝える事の大きな大きな力に感謝しています。まゆしーが毎公演分の消えもののお弁当も手作りしてくれたこと、ありがとう。有難う。

 

”2年ほど前から一生ものの何か”について考えながら生きているのだけれど。

一生は地続きであるのに、人との関わりは様々に変わってゆくもので、でもその中でも大事に心にある事が大切だと思うんです。この希薄という座組、さらには劇場に足を運んで下さった皆さん、作品を、それにしたいと心から今思う。というかなるのだろうと信じます。

 

座組には、キャスト以外に舞台を共につくるスタッフさんがいるのは知っていると思います。今回の音響・照明さんは、日野作品をいつも手がける、佐野さんと一場ちゃん。沢山お話させて頂けました。緑色の☆をいつの間にか作ってくれていたり、毎回音や照明のニュアンスを合わせてくれていたり、芝居を愛してくれていた。

舞台監督のかっちゃんは、日野祥太の学生時代の同期生で、震災があった年に現地へ赴いて、その年の12月に東京の役者を連れて地元の高校生と演劇を作っていたりする芝居心に溢れた漢。今回一緒に舞台面を作らせてもらっている、袖に居る、開場するとき、他にもいろんな瞬間に感じました。毎公演、舞台に手をあわせていた姿残っています。

制作のたっきーも、事細かに、お客様の事を考えていたり、丁寧なキャストへの気配りが印象的です、余談ですがビビる大木さんによく似ていると言われるんですって。当日の制作お手伝いにいらした皆さんにも心からの感謝を忘れず。

そして、最後にSHINYA UEDAこと上田晋也。今回のチラシをはじめ、ロビーでの個展には一人一人に題があったんですよ。レイアウトを細かに試行錯誤していた姿をみました。稽古場にも写真を撮りに来てくれたんですが、衝撃。役者との距離30㎝で撮ルンです。襖の陰から撮ったり、サングラス越し、手越し、いろんなモノ越しに、創作してたんだなぁ、と個展をみて驚かされました。

 

 

ナナシノメンバー矢野竜司、服部喜照、水原ゆき、小林郁香、栗林藍希、

一人一人を書きたい。

やはり、書ききれない。

振り返ると壮大で。

 

まずは、写真をここに貼付けて続きをまた書けるときに書きたい。

 

ご来場、ご声援、日々、有難うございました。

改めまして心からの感謝をここに。

 

はじまり

 

孝介。 宮原奨伍

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 追記


『希薄』が終わってから、いくつかのことがあった。


その中の一つ。レンタカーで岩手県の大槌に行って来た。手をあわせたくて。脚本・演出の日野祥太と。


そこでも新たな繋がりができ、人とお会いできた。

印象に残ったのは、大槌にある役場が当時のままで残されていたこと。この事にたいしては賛否両論あるようで、僕が一番に思い出したのは広島の原爆ドーム。戦争の無惨さをすさまじいほどに感じられたのと同じく、津波の恐ろしさを 知ることが出来た。沢山の映像も残っている現代においてでも、その地に訪れる人が肌で感じられるものを、その地で言葉に出来ぬほどの苦しみを感じてきた人が生きるその地に残すべきなのか。


僕はこう思う。

思い遣りの行く先を次の世代に、この事を知らない世代に向けるべきなのかもしれないと。かもしれないと。当事者でもない僕がこのようなことを思うのは、どうなのか、考える、考えば考えるほど、思い遣りとか愛という言葉でしかまだ解決できない。


『希薄』が希薄になることはしたくない。


そう、


『当事者』ということば、希薄でもキーワードの一つになっていて、今、稽古をしている『わたしの、領分』でもキーワードの一つなのだ。


まだまだ何かあるのだとおもう。


また、書きます。


奨伍