一丸は帽子が大好きです🧢



さてさて、昨日の続き。

高校で結果が出せなかった一丸は大学入学を決め、法政大学に入学した。
スポーツ推薦で入学したわけだが、入部して早々に部活が活動停止。
外で練習することも許されず、ストレスの溜まる日々を送った。学校だけは真面目にいっていた"笑"
早生まれでジュニアカテゴリーであった一丸、その年のジュニアトラック世界選手権に出場するためには部活を辞めなくてはいけない。
部活か世界選手権か、、、


選んだのは世界選手権であった。



入部して3ヶ月で部活をやめ、スポーツ推薦で入学したので学校も辞めるつもりで荷物をまとめて実家へ帰り、世界選手権に向けて練習の日々。
イタリアで行われた世界選手権には無事に出場したわけであるが、結果という結果はなし。
しかし、世界レベルでレースができたので、大きな経験となった。

さて、学校も辞めるつもりで帰ってきたわけだが、さすが法政大学。
部活をやめても学校は辞める必要はないそうで。
学校に行きたくなかった一丸は両親や周りからの説得で、次の年からまた1年生で学校に行くことを決める。(1年目はテストを受けなかったので単位0、後期は休学して自転車屋でバイト。お金をそこそこ貯める。)

次の年からは浅田さんのチーム、エキップアサダで走ることになり、アパートも拠点近くの東松山に借りた。東松山からは学校まで電車で1本。
毎日片道1時間30分の通学時間。
通えない距離ではなかったのも、復学の理由の1つである。

教員免許も取るために授業を組んでいたので、1日の授業はパンパカリン!
毎日7時に家を出て、帰ってくるのは20時。
それよりも遅く帰ってくることもあった。
朝練も試みたが、朝練習するとどうしても授業に集中できない。
そんな生活であったので、平日の練習時間は20〜21時の1時間だけ。それも部屋でローラー練習。
当時東大の西薗さんにもできたのだから、俺にもできるはず!と思いながら、西薗さんとは大きく違い勉強ができない一丸は日々試行錯誤しながら練習してた。


4年間ほぼローラー練習でよく走れてたもんだ。


勉強の方はというと、友達がいなかったもんで毎日授業は1人。頼る友達もいないので、勉強嫌いの一丸柄にもなくサボらず毎日真面目に学校に行く。鎖骨が骨折しても早めに退院させてもらって学校へ行く。とにかく真面目に学校へ行った。
教育実習にも行き、教員免許も無事取得。
科目は社会の地歴公民。
高校も大学もスポーツ推薦、スポーツしかやってこなかった一丸。まともに社会を生きてこなかった一丸が社会の教員免許を取得。
自分で自分が心配になるが、持ってて損はないだろう。



4年間はほぼ自炊。



2年生の春に浅田さんにフランスに連れて行ってもらい、本場のレースを走った。同年代の選手が多いBSエスポワールの選手との生活であったのでとても刺激的な春休みを送った。
レースではアマチュアの1.2.3クラスのレースで5位が最高だっただろうか。日本では日頃1人の一丸とってはとても楽しい春休みであった。




3年生から、トラック中距離ナショナルチーム入りをしたので、合宿とのスケジュールが合わず、2年生以降フランスに行くことはなかった。
しかしこの年に全日本トラック、スクラッチレースで優勝、これが一丸の初の日本一となる。




4年間(休学した1年を入れれば5年間)で、周りの助けがあって無事に卒業できた。
ここには書いていないが本当にいろんな人に助けてもらった。


そして卒業と同時に、
社会福祉法人 太陽の家に就職。
自転車競技はブリヂストンアンカー(現在のチームブリヂストンサイクリング)に加入し、今に至る。

かなりざっくりと一丸尚伍ができるまでを紹介させていただいた。

歳を重ねるにつれてやんちゃ度は減った。
というよりやんちゃする元気が無くなったと言った方が正しいだろうか。
しかし今でもいたずらは大好き。

中身は大人になれないが歳だけは大人になって行く。子供心を忘れないのは大切だと勝手に思っている。



明日からインターナショナルトラックカップのため松本へ向けて出発する。
アジア大会前の最後のレースになるだろうが。
気合を入れて走ってこよう。