巷では社会への不安や絶望から、他の人間を巻き込んで社会への不満をアピールする事件(ジョーカー事件)が頻発している。そんな中、受験勉強が上手くいかないことへの絶望から、東大で共通テスト受験者を襲撃するジョーカー(東大ジョーカー)が現れた。

 

同じように学歴や資格試験、将棋といった知能系の分野で上手くいかないことに絶望し、社会への不満を持った者としては、今までのジョーカーよりも目を惹く事件だったため、今回はこの東大ジョーカーについて考えることにする。

この東大ジョーカーの情報としては、悪質アフィリエイト記事のせいで信憑性に欠けるものも多く出回っているが、まとめると以下の通り。

 

・東海高校の生徒。多分中学組(高校入学組とするソースもあるが、信憑性は低い)。

・東大理Ⅲを目指していたが、成績不振で受かる見込みがなく、絶望して犯行におよんだ。

・高1の段階では学年400人中2桁順位だったが、高2になって400人中100番代まで成績が落ちた(これもソース元により情報が錯綜しており、参考程度)。

・理Ⅲに対する執着心はすさまじく、猛勉強していたとする周囲からの情報。理Ⅲ推薦枠を得るために、係や生徒会等の校内活動にも目を向けていた。

 

こういった背景をもとに今回の事件を考え、重要だと思ったことが2つある。

 

1.社会の仕組みを受け入れること

事件を起こした者の心理を全て推し量ることはできないが、おそらく「自分はこんなにやっているのに何故上手くいかないのか?」という気持ちが、「これで上手くいかない世の中はおかしい」という社会への不満に繋がり、事件を起こした部分もあるのではないかと考えられる。そんな中、「俺は頑張っているのに結果が出ないということを分かってほしい」という承認欲求もあって、社会へそういった主張をする意味で事件を起こした部分もあったものと思われる。

しかし基本的に社会において、成功していない人間の努力の過程が評価されることはない。成功していない者が「努力したのに」と主張しても、「どうせ大したことしてないんでしょ」とあしらわれるのが関の山である。今回の犯人のように、「具体的にこれだけ努力しました」と根拠となる一定のものを示したとしても、それは同じである。

一方で成功した人間が「ここまでくるのに努力しました」と主張すれば、その内容を語らなくても瞬く間に賞賛され、「この人はこんなに頑張って凄い!」となる訳だが、これこそが勝者にだけ与えられる特権であり、世の中の不文律である。

すなわち、世の中には「何が理屈の上で正しく、正しくないのか」ということではなく「勝った人間の主張が全て正しく、負けた人間の発言は全て誤り」で動くことにより、上手く隠蔽されている不条理な部分がかなり多く存在しているということである。そして「努力すれば夢は叶う」という主張は不条理隠蔽の最たる例なので、それをそのまま理論上正しいものとして動くと、ギャップで苦しむことになる。

努力論以外でも、不条理を隠蔽するために「勝った人間の主張が全て正しく、負けた人間の発言は全て誤り」で動いている社会システムは多く存在しているが、多くの人間はそのことを暗黙のうちに理解してしぶしぶ受け入れ、そしてそのシステムに沿うように立ち振る舞っている。こういった社会の仕組みへの順応性が、非常に重要であるということを改めて考えさせられた。

ちなみに私も、こういった社会の仕組みはどうしても受け入れられない部分があるので、犯人の気持ちが分からなくもない。

 

2.他人と比較しないこと

これは前回の記事に関連する話になるが、やはり他人と比較しすぎないことは大事である。今回の犯人は、全国的にも有名な一流進学校の生徒(本人はそこにしか受からなかったことが納得できないとするソースもあるが、これより上を見てもキリがないのでは?と凡人である私は感じる)であり、その中で成績が落ちてきていたとは言え、真ん中よりも上(400人中100番代)だったのだから、東大理Ⅲに拘らなければ一流大学に進学できていたものと思われる。

つまり世間的に見れば十分勉強周りの適性に恵まれており、そういった適正に恵まれなかった私からすれば、羨ましいとすら感じる。彼ぐらい勉強周りの適性に恵まれていれば、私の描いている学歴等の理想は十分叶うので、各種コンプレックスに悩まされることもなかったとすら思う。

だが彼にとって不幸だったのは、進学校故に周囲も優秀だったせいで、優秀な周囲と比較する中で理想が異常なまでに高くなってしまい、その価値観に縛られてしまったことである。

他人と比較し、「俺はもっと上に行きたい」と思うマインドは、成功者になるためにはある程度必要なものである。「俺は全員蹴落としてやる」と思うある種の性格の悪さのようなものがなければ、成功者になんて絶対になれない。しかしそれはその分野における適性と自分の目標が上手くマッチしている場合の話であり、自分の適性を超えて高い目標を定めてしまうと、それはただの性格の悪い奴であり、いつまでも目標が達成されないことでどんどん不幸になり、ますます性格が悪くなる負の循環に陥る。

彼の場合、大学合格にある程度高い目標を定めても、叶う可能性は十分にあった。そうすれば、平均的な人間よりもかなり恵まれた人生を送ることもできていただろう。しかし、一般人と比較すれば勉強の適性に恵まれていても、理Ⅲを目指せるほどのものはなかった。

このような自分よりも恵まれている人間の失敗例を見ると、自分の適性を見極めた上で他人と比較するのを辞め、自分なりに頑張ることが大事であることを、前回の記事に続いて改めて感じさせられた。