多くの競争において、自分が気分よくいられることだけをやっている人間は、強くなれない。

勝つためには、苦手としていることも受け入れて向き合っていかなければならない。

ところが、将棋というゲームにおいてはその考えが成り立たず、むしろ苦手なことや嫌いなことから逃げる人間が得をするゲームなのである。

上記局面は4手目32飛に対して先手が相振りで勝負することから逃げ、居飛車にしたものだが、このような指し方は一般的に後手が自由に石田流に組めるため、後手が得していると言われている。一方でこの指し方はアマチュア底辺層(将棋倶楽部24上級タブ以下)では大人気で、76歩34歩66歩32飛の進行で、体感5割の相手は66歩型の居飛車を選ぶ。

最善が何かなんてことはどうでもいいアマチュア底辺層からすれば、嫌な事から逃げられるこの進行が最も得であるという訳である。

これについて私はどうも、嫌な事から逃げている人間が得をしているような感じがして納得がいかない。いくら雑魚アマチュア同士の茶番だからと言って、徹底的に逃げる姿勢の人間が得をし、真面目に相振り飛車と向き合おうとしている人間が損をしているような雰囲気になることが許されていいのだろうか。

 

 

上図は実戦から取ってきた局面で、相手の▲58金右超急戦に対し、私がゴキゲン中飛車で超急戦を回避した将棋である。(△24飛まで)

この局面は打ち込みに強い陣形で飛車交換が確定し、後手がペースを握っている。

相手は超急戦を拒否されたことによって得た利を生かしきれず、よく分からない感じの指し方をしている。

自分が優勢になっておいてなんだが、ここにも将棋というゲームのくだらなさを感じた。

超急戦という難解な将棋をやってやろうという前向きな姿勢の相手に対し、「超急戦なんてこわくてできましぇーん」という逃げの姿勢でいる自分のほうが得をした訳である。

難解な将棋の前準備をしなければいけないリスクを取った割に、相手が逃げてくれた場合のリターンが極端に小さいのである。

これでは、真面目な人間が馬鹿を見るだけである。