自分の作品のオリジナルを追求するきっかけは70代のお二人との出会いが大きい。


お一人目は、

演歌歌手藤圭子さんの育ての親であられ、演歌の大御所作詞家であられる石坂まさを先生。

2012年に御縁を頂いた。

当時既に糖尿病で目が見えず、脳梗塞で寝たきり状態であられた石坂先生。

そういう状況であられたこそかもしれないが、目に見えないものやエネルギーを感じられる印象があった。


初対面の時「何か面白い話をして下さい」と言われ、それまで経験してきた経験をお話した。その話を気に入って頂けたようで毎週お電話頂けるようになり、毎週のように目黒にあるお宅にお邪魔するようになった。

ある日、突然、龍に人で、龍人(りゅうじん)という名前で活動するといいですよ!と言って頂いた。

自分から名付け親になって下さいと言った訳ではなく、石坂先生からの提案でビックリした事を今でも覚えている。

その時、石坂先生からこんな体験談を話に下さった。

僕も、藤圭子さんがブレイクする前に師匠から名前を頂いたんです。そうしたら、運期が変わって藤圭子さんの大ブレイクに繋がりました。龍人という名前で活動したら運氣変わりますよ!きっと。

石坂先生と僕との出会いは2012年辰年。石坂先生の本名は龍二さん。

僕は辰年生まれで出世作は龍の書でだった。

石坂先生は

龍が僕らを出会わせてくれたと感じられらしい。

石坂先生のように著名な先生に名付け親になって頂いた事で自信になった。

余談だが、藤圭子さんの娘さんである宇多田ヒカルさんがまだデビューする前、石坂先生の元に連れてきて、娘をプロデュースして頂けませんかと懇願されたそうだ。前々から面識あって、宇多田ヒカルさんの才能を知っていた石坂先生は、今の僕の感性では、彼女を最大限に輝かすことができませんとお断りしたというエピソードも聴いた。


もうおー方は

茶道のお道具商をされていた白石念舟先生との出会い。

白石先生の師匠は

元国史編修官兼国宝鑑査官、文化財調査官書跡主査であられる田山方南先生。

このような方からDNA を引き継いだ白石先生の叡智は本当に素晴らしいもので圧巻だった。白石先生と同世代や先生よりも上の世代の方も白石先生と慕っていた。

江戸時代、幕末、昭和史を2、3日前の話でもするような感じで話されていた。

 白石先生は師匠の田山先生から、

一次資料に触れなさい

という教えを守り、50年掛けて、幕末の志士の原書書軸を200本ほどコレクションされた。

当初は贋作を購入する事もしばしばあったそうだが、毎日眺めていたら

作者の 心が伝わってくるようになった

そうだ。


初めて白石先生の書斎に伺った時、龍馬の書が飾られていた。

お会いして2回目には人生の師匠と勝手に決め込み、毎週のようにお宅に伺い、志士達の原書書軸を多数間近で拝見し、息吹を感じる事になる。

この経験は、これ程までに幕末の志士原書書軸を間近で見た書家はいないはずという自信にも繋がった。

余談だが自分が名前を知っている志士達の原書書軸はほとんど間近で拝見したが、個人的に一番エネルギーを感じ、シンパシーを感じたのは高杉晋作の書である。

白石先生のお陰で、漢字博士白川文字学と再び向き合う事が出来たのは非常に大きい。白石先生と出会う前から、白川文字学については本は読んでいた僕は「なんか難しいな」と毛嫌いしていた。しかし、人生の師匠と勝手に決め込んだ白石先生が言うのなら!と10冊程文献を読んでみて、漢字の精神性白川文字学の内容を知った。

白石先生のお陰で白川文字学と向き合う事になるのだが学んだ後、書に対する意識が全く変わってしまった。

漢字を模写するという意識から、神事に昇華された。


石坂先生と白石先生の共通点は、お二人とも周りの人に対して、僕のことを、友人の小林龍人君と紹介して頂いた事だ。

弟子でもなければ、知人でもなく、友人と紹介頂いた。30歳以上年下の僕に対して!懐の大きさを感じたものである。


色んな人との出会いに支えられ、何とかここまでやって来れたが、名付け親になって頂いた石坂まさを先生。そして、歴史を伝承してくれ、幕末志士原書書軸を身近で多数拝見させてくれ、潢字の精神性である白川文字学を教えてくれるなど、書に携る者としてこれ以上ないを経験させて頂いた白石念舟先生との出会いは誇りである。

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(坂本龍馬の書と白石先生)

石坂先生も、白石先生も晩年の1年ないし2年頂いたご縁。もうお会い出来ないのは勿論淋しいが、お二方と晩年にお会い出来ただけでも、僕の人生に とって僕の人生にとって素晴らしい宝物である