前回のラジオ小僧魂ブログから打って変わって^ ^本日は、墨論について。 

以前、さらさらーっと榊莫山先生の墨論について触れましたが、莫山先生の本から感じたことを僕なりに論じていたいと思います。文房四宝 墨の話 (角川選書)/角川書店¥1,836Amazon.co.jp 
上記の本から抜粋です。 

 墨の良し悪しを感じ取るのは、実に難しい。墨の色の美しさを、紙の上に描き出すのはさらにむずかしい。

墨は生き物だからである。同じ墨と言っても、年を経た墨と生まれたての墨は、必ずしも同じ色ではない。磨りようによって、潑墨のちがいもある。さらに紙によっても違ってくる。雨の日と、空気のよく乾いた日によっても、墨色の冴とは違う。墨に魅せられ、墨に振り回される者にとって、墨はまさに妖気と魔性のあふれた相手と言わねばなるまい。

 上記文章を読んでまず感じたことは、墨は、海の波と一緒だということ。 

同じ波は二度とこないというけれど、それは波乗りをしていて痛感します。

 同じ時間帯に同じようなところで割れる波も全然違う顔を見せます。 

僕は元々、線の掠れ具合で、同じ線は二度と書けない点において、運命というか希少性を感じ、『書は、波乗りに通ず。』という哲学を持っていたけれど、莫山先生の墨論を読んで、墨自体も波と一緒だったんだ!と痛感しました。 

以前は中二病のように、サーフィンが最も人生を表している趣味だと自負していたけど、今にして思えば、釣りにしても、団体競技のサッカーにしても、個人戦の格闘技にしても、陶芸であっても、乗馬であっても、他のどんな趣味においても、希少性だったり、人生観へと通ずるものはあると思う。

墨に妖気、魔性を感じられる莫山先生のような視点を持てさえすれば。

 表現方法こそ違えど、どんどん突き詰めていくと、どんな趣味も本質は一緒なんじゃないかって感じる今日この頃です。