僕は、のめり込むと、深く追求するタイプ。

墨筆士を、名乗るにあたり、墨のことを調べたいなーと思って、テレビの番組を見てました!とても興味深い内容で、墨について、もっと勉強して、こだわりのある墨を愛用し、深めていきたいと思った訳です。

用途とか、墨の作成方法は、番組見て、ある程度わかったので、今度は、墨の世界観というか、哲学を学びたいと思ういうになり、書籍、雑誌を探しました。

例えば、これ
墨という雑誌の2012年3.4月号

書店で、上記本を探して、中身を読んでみると、僕が求めている内容とちょっと違うんだよなー

墨について、哲学ちっくに解説してくれている本はないかなーと探していたんだけど、見つけることが出来ませんでした。

そして、ある日近くの図書館に行って、たまたま目がいった本が、僕がまさに求めている内容でした。

文房四宝 墨の話 (角川選書)/榊 莫山¥1,836Amazon.co.jp

今日は、上記本で、僕が響いた個所をご紹介したいと思います。墨筆士、書ーマニズム道を磨く上で、とても刺激的な本でした!さすが、榊莫山先生。岡本太郎先生同様好きだわ~

・墨の生きがいは、紙との出会いの中で、書に書かれ、水墨画に描かれて、《玄》の世界に煌めくことであろう。玄というのは、黒い色のことである。天の色のことともいう。清く静かなのも玄、微妙な深遠さも玄であり、輝くことも玄であるそうだ。

・墨の美しさは、ただ黒々とした黒さばかりが能ではない。と言うのだ。濃くても淡くとも、黒色の中に光がなくては話にならぬと言うのである。その透明の光は、ちょうど子供の目のように清々しく純粋でなくては、佳い墨と言えぬと宋の詩人蘇しょくは説いている。

・色彩を離脱した黒の世界で、黒の中に棲む精神の彩りを掴め、というのだから、黒の色に潜んだ人間の精神の陰影をかからねばならぬ。

・紙に描かれて水墨画となり、あるいは書となったとき、いかに名墨といえども、あの華麗な黒の形も意匠も、更には墨匠の誇り高き名前も、未練がましくつきまとうことはない。名も形も、潔く形を隠してしまうのが、墨たるものの栄光と言わねばなるまい。

・これほど純粋にそして端的に東洋を象徴する芸術は珍しい。色彩をしりぞけ、ただひたすらに、黒の世界を追いつめて、精神の動きやきらめきを、黒一色の中で語ろうとするのだから、純粋といえばこれほど純粋な手立てはない。

・手造りの良さは、土地の風土や自然と人間とが、素朴に溶け合って、ものに個性的な情緒を潤わせているところにある。だがこの情緒は、過酷な労働と自然豊かな自然と技術に支えられていた。

・墨という無彩の材料に寄りかかった水墨画や書は、モノクロームなるが故に、いっそう視覚や触覚のはたらきを重視する。あまい感覚的な陶酔やいい加減な概念的心境に陥ることは許されないのである。ところが現在、墨によりかかれば、東洋のユーゲニズムに乗っかれ、宣紙ににじみやかすれをちりばめながら書や絵を描けば、たちどころに水墨の世界が現れる、といった概念的心境に陥った風潮がある。ために、書や水墨や墨象の世界で、墨の色そのものへの畏敬は失われ、墨色に挑みかかる迫力は薄らいでいった。