先日、
日日是好日

という禅語の書軸のご依頼があった旨を、

こちらの記事

でもご紹介しました。

最近は、データ納品で、お客様の方でデータを加工されるケースが多かったんですが、原書納品はやはり大変。ガチですから。間や空気感が作品から直に感じ取れるからね。原書は特に、生き様が出ると思う。



んー難しい。。最近は自分の書が書けるようになってきているものの、原書納品時に最高のパフォーマンスを発揮するのは、やはり難しい。まだまだこれからですな!



僕が、ご縁あって、師匠から、幕末の志士たちの書軸を生で拝見できる立場にいます。

志士たちの書軸は

こちら

で紹介しています。

今の日本があるのは、エネルギーに満ちた、偉大なる大先輩たちが明治維新を起こしてくれたおかげです。

そのエネルギーに満ちた先輩たちの書を生で拝見し、感じたエネルギーを、作品に反映していきたいと思っています。


日日是好日の意味

この語は中国の唐未から五代にかけて活躍された大禅匠、雲門文偃うんもんぶんえん禅師の言葉です。

たぐい希な、鋭い機峰と、すぐれた禅的力量の持ち主であった禅師は、簡潔な語句を駆使して、自由闊達に禅を説きました。
日々是好日は雲門禅師の悟りの境地を表した、最高の言葉であります。

毎日いい日が続いてけっこうなことだ、などといった浅い意味ではありません。

一般に私達が、今日はよい日だ悪い日だという場合、天気だけでなく、お金が儲かった・損をした、よいことがあった・嫌なことがあったなど、そんなものさしで判断します。

しかし、これは優劣・損得・是非にとらわれた考え方です。
それではたとえ、ある日幸運が訪ずれても、その後に来る不運に脅えなければなりません。日々是好日とは、そんなこだわり、とらわれをさっぱり捨て切って、その日一日をただありのままに生きる、清々しい境地です。

たとえば、嵐の日であろうと、何か大切なものを失った日であろうと、ただひたすら、ありのままに生きれば、全てが好日こうにちなのです。

好日の好は好悪こうおの好ではありません。「嵐か、よし、嵐なにするものぞ!」、「失ってしまったか、よし、どうにかこれを改善しよう!」と、積極的に生きる決意 "よし" がこの "好" なのです。

禅では、過ぎてしまったことにいつまでもこだわったり、まだ来ぬ明日に期待したりしません。目前の現実が喜びであろうと、悲しみであろうと、ただ今、この一瞬を精一杯に生きる。その一瞬一瞬の積み重ねが一日となれば、それは今までにない、素晴らしい一日となるはずです。