$ROCKな書家小林龍人「醒命力」Powered by Ameba


昨年の今ぐらいの時期に書いた「さくら」です。


さくらの



の、



の部分が

偶然、

桜の花びらのようになっていたので、

ピンクに加工しました。


全然ROCKな書体じゃないけど、
たまには、こんな書も

いとをかし

ということでにひひ


そういえば、昨年、韓国の女性が、この書を
ソーシャルメディアの自身のTOP画像で利用して
くれていたっけ。。。


さて、
二年ぐらい前に、

新渡戸稲造の「武士道」を
諸事情で2~30回ほど読み返しました。

今日は時事ネタという事で

武士道に書かれている

日本国民と桜の関係性

について、シェアしたいと思います。


大和魂は、やわな栽培種の植物ではない。
自然に成長したという意味で、野生種である。
その土地の固有種である。

偶然、他の土地の他の花と共通する性質もあるだろう。
だが、根本の部分は変わることなく、日本の風土から
自然に生まれ出たものである。

だが、
日本人がそれに愛情を抱くのは、それが日本生まれだからというわけではない。

その洗練された美しさ、優雅さが、
他のどんな花よりも日本人の美的感覚に訴えるのだ。

ヨーロッパの人々は、バラを好む。
日本人はそれほどでもない。

なぜなら、バラには、
桜のような簡素さがないからである。

また、
バラはその美しい姿の陰にトゲを隠している。
そして、生命に対する執着のようなものを持っている。

早々と散ってしまうことなく、花柄についたまましぼんでいく。
まるで枯れるのを嫌っているか、あるいは、恐れているかのようだ。
華やかな色、強い香り、みな、日本の桜とは全く違っている。

桜の美しさの陰には、トゲも毒もない。
自然の呼び声に応じて潔く散る。
色も派手ではない。
かすかな香りは、決して飽きがこない。

色や形の美しさは、外から見えるものに限られている。
その美しさは花によって決まってしまう。
だが、香りは、命の息吹のように移ろいやすく、触知できない。

だから、
どんな宗教的儀式においても、
乳香と没薬が非常に重要な役割を果たすのである。
香りにはどこか霊的なものがある。

桜のかぐわしい香りが朝の空気を輝かせる。
太陽が昇り、その最初の光が極東の島国を照らすとき、
この朝の空気を吸い込むほど、穏やかで晴れやかな気分になるものはない。

その空気は、いわば、
その美しい一日の息吹そのものだ。

↑ここまで

下記本からの抜粋です。
バラ好きの方からのクレームにはお答えしませんにひひ

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