早稲田大学男子チアリーディングチームSHOCKERSのブログ
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アメリカ遠征体験記 19期 安室K

お久しぶりです。安室Kです。
アメリカ遠征ブログ、書いていきます。

遠征前、遠征中、遠征後、たくさんの出来事がありました。いつも応援してくださっている方々や、SHOCKERSの活動を気にかけてくれている方々に伝えたいことばかりなので、妥協せずめちゃくちゃ書こうと思います。
長くなりますが読んでもらえると嬉しいです。


普通に書いてもただ長いだけで疲れるので、今流行りの
BeRealと共に、時系列に沿ってアメリカ関連の出来事を振り返っていきます。
BeReal便利ですね。振り返りたい出来事が必ず写真に残ってるから。しかも1枚で2枚分見れますしね。いいアプリです。

ぼく、流行りに、敏感なので、BeRealとか、めっちゃ好きなんです。ちなみに、流行る、1年前くらいから、やってました。(笑)



まずは遠征前。
アメリカ遠征に行くか、行かないか。とにかく真剣に悩んでた時期ですね。

2023年9月20日
高田馬場のてけてけにパール、グソク、ケルヒャー、海保と集まりました。とりあえず語ろうぜ的な感じで。
プライベートの話だったり、チアの話でめちゃくちゃ盛り上がって、そこでアメリカの話をしました。
「マジでいくべきなんかな、アメリカ」
「でも行ったら絶対強くなれそうだよな」
「みんなアメリカのおかげでモチベ爆上がるしね」
みたいな、とにかく憶測で、胸が高鳴るようなワクワクするような話をひたすらしました。
それでもどうしても自分の中で「アメリカに絶対行きたい」と気持ちが固まっていませんでした。コロナと円安の影響で遠征費がぶっ飛んでるし、それが原因で行けない人も出てくるだろうからです。
っていう話も5人でしました。

数日前にエヴァフィーくんがこんなことを言ってました。
「俺らの代でアメリカ行かないと、SHOCKERSがアメリカに行くという伝統は終わる」

この言葉が、迷ってた僕をアメリカに絶対行きたいと思わせてくれた理由です。

「アメリカ絶対行こうな」
と、みんなで意見を固めて解散しました。





2023年10月4日
大隈講堂で行われた前月祭の後、本キャン99号館の下に19期全員で集まりました。大雨、極寒だったのを覚えています。
ここで1人ずつ、アメリカに行きたいかどうか腹を割って話し合いました。いつもふざけてばっかのやつらが真剣に意見をぶつけ合うのはとても新鮮でした。
行きたいって言うやつが大多数だったけど、行くべきじゃないって言うやつもいました。
みんなチームのことめちゃくちゃ考えてんだなって思って、今チームええ感じやなって思いました。

3時間くらい話し合った末、「行こう!」ってなりました。
で、みんなで地下の麺爺にいきました。アメリカ行きがほぼ確定した後に食べる麺爺は格別でした。
食後、隣のファミマでアイスを買いました。
多分エヴァフィー辺りが男気で勝って支払ってたような気がします。





そっからはなんかもう一瞬でした。
早稲祭、ショカフェス、あっという間に大イベントが2つも終わって、休む間もなく19代目がスタートしました。


2023年12月23日
19代目SHOCKERS始動 @新木場
アメリカまで残り2ヶ月弱。急ピッチで大会構成を仕上げなきゃいけない。初回練習とは思えないほどのペースで高難易度の技を流れるように試していきました。
この時点で3基開脚オノカツがほぼ出来上がってしまって、19代目の可能性やべーなーって思いました。と同時に、今チームええ感じやなと思いました。





2024年1月14日
セレクション
年が明けて間もなく、KOCと大会2段のメンバーを決めるセレクションが行われました。
SHOCKERSに入って初めてのセレクション。ずっと仲良しこよしでやってきた19期20期が、お互いをライバルだと意識して、それでもお互いを讃えあって励ましあって、セレクション当日を迎えました。
実力はもちろん、信頼関係もさらに強まった日だなと思います。
終わったあと、ヘトヘトだったのでサウナ東京に行こうとしました。が、店の前でなんか辞めました。
行ってみたい。





2024年1月18日
放送研究会の代表の元気くんともんじゃを食べました。
お互いのサークルの話をし合って、「今チームめっちゃええ感じやねん」って話と、3月にアメリカ遠征に行くんだって話をしました。

強い覚悟を持って臨むアメリカ遠征、何か少しでも形に残せるものが欲しいなと思っていた僕は、放送研究会様様にめちゃかっけえPVを作ってもらいたいと勝手に思っていました。
ってことで、その場で「作って欲しい!」と頼んでみました。すると、その5分後に放送研究会制作部の方々と僕のLINEグループが出来上がり、PVを作ってもらうことが決まりました。
こんなバタバタだったのに引き受けてくれた放送研究会の皆様、本当にありがとうございました!

その後、高円寺のラーメン屋に行きました。
めっちゃ好きな味でした。元気また行こう





2024年2月9日
放送研究会の方々が練習風景の撮影に来てくれました。
やっぱりみんなカメラの前だと良いとこ見せようと思って、調子良かったりするんですよね。この日は技の決まりが良かったと思います。
放研さんに顔見知りがどんどん増えてきたのがとても嬉しいです。これからもよろしくお願いします🙇‍♀️





放送研究会の方から出来上がった動画が届いて、初めて俺たちアメリカに行くんだって実感が湧きました。
SHOCKERSに入ってからの2年間、ずっと小さなスマホの画面で見てきたあの舞台にようやく立てる。ワクワクしすぎて眠れない日々が続きました。


2024年2月22~25日
特大ハプニング発生。
これまで2ヶ月間練習してきた大会構成の音源が、著作権の関係でNCAで使用できないことが発覚しました。
999、こーへぇから同じような連絡が届いて、絶望も絶望でした。

音源全部変える?そんなこと出来る?

出来たんです。19期には天才音源メーカーが2人います。
ささみオリジナルと、僕です。
あんなでけぇささみが音源編集できるってギャップですよね。曲と曲の繋ぎ目の部分から幾つもの効果音、細かいところまで全部完璧にやっちゃうんです。
大会構成に相応しい曲を1日かけて探して、その曲がアメリカで使用できるか確認して、曲を購入して、編集して、、、
24-25の夜に徹夜して僕の彼女の家(?)で音源を作り上げました。めちゃくちゃしんどかったけど、たった2分半の音源が出来上がったあの瞬間は、死ぬほど嬉しかったな。
ささみ、桃子、ありがとう。





全く新しい音源で迎えた出国前最後の練習。
徹夜後でずっと吐きそうでした。


2024年2月26日
出国
初めてのアメリカ、久しぶりの飛行機、ワクワクが止まりませんでした。
約11時間のフライト。行きの電車で全話ダウンロードした「VIVANT」を寝ずにイッキ見しました。
あっという間に着いたサンフランシスコ、そしてダラス。
気分はすっかり堺雅人で、テントの捜索を始めました。


2024年2月27~29日
練習、自由時間
アメリカに着いた翌日から練習が始まりました。
話には聞いていたバネ床での練習は本当に楽しくて、こんな環境でチアしてたらめちゃくちゃ上手くなるに決まってる!!って思いました。
技の決まりが良くても悪くても、とにかく練習が楽しくて、ずっとここにいたいと思ってしまうほどでした。

午前で練習が終わると、午後は自由時間になります。
ホテルのプールでリレーをしたり、光彦の部屋に集まってAmong Usや荒野行動(今更)をしたり、治安の悪いと言われる都心部に足を運んでみたり、はたまたアメチアの動画を見て、これ生で見れんのか〜ってニヤニヤしたり。

3/1から始まるチアの祭典を心の底から楽しむための準備をしていました。








2024年3月1日
本番当日。衝撃的な1日でした。
朝はいつもの練習場で練習をし、昼過ぎに大会会場に着きました。
ここからが衝撃の嵐。
僕達が乗るバスが会場周辺に着くやいなや、現地のチアリーダー達が「SHOCKERSだ!!」と叫んで駆け寄ってきました。と同時に「一緒に写真を撮っていい?」と聞かれ、写真待ちの列ができるほどでした。
ディズニーランドのミッキーってこんな感じなんやなって思いました。なんならミッキーより列出来てました。
「Sure!!」と「Good luck!!」
この2つをとにかく言い続けました。

現地の方々がこんなにもSHOCKERSに期待してくれているということを認識し、歴代の先輩方が世界に与えた衝撃がどれほどのものだったかを思い知らされました。
そして今晩、その衝撃を俺らが塗り替えるんだと、強い覚悟が芽生えました。

本場のチアリーダーの空気に圧倒されていたら、あっという間に演技時間になりました。

演技のことは断片的にしか覚えていません。
SHOCKERS!!とスゲーいい発音で呼ばれ、慌ててステージに上がりました。観客の数、声量、圧巻でした。これがアメリカか、これがホンモノか、、とにかくこの目の前に広がる景色を目に焼きつけるので必死でした。

タンブ失敗して、気づいたらスタンドの上にいて、999に鬼の形相で「安室笑え!!」って言われて目が覚めました。お前も笑えよって思ったけど、あの時の僕は絶望的は顔をしていたような気がします。

3基オノカツが決まったあとの歓声、捻りツーハが決まったあとの歓声、ダンス中の会場のどよめき、忘れられません。
悔しい気持ちも、嬉しい気持ちも、思いつく全ての感情が詰まった2分半でした。


ホテルに戻ってからも、興奮が収まることはなく、風呂も入らず歯も磨かず、演技の動画を見たまま寝落ちしました。


2024年3月2~3日
僕らの出番は昨日で終わり。
今日と明日はNCAを隅々まで楽しむのみ。
1日中アリーナの真ん中の方の席に居座りました。

技が上がれば大歓声、落ちたらOh...、最後のダンスはみんなで手拍子、有名なチームなんかは音源の歌詞を観客みんなで歌ったり、歓声も「キャー」じゃなくて「ギャー」だったり、夢のような空間にずっといました。
時より、「俺昨日あの舞台に立ったんだよな、、」と我に返って鳥肌が立ったり。

このダンス、この技、このアピール、この魅せ方、、、
「俺らにも出来る!」
そんなことを考えながら、夢中で演技を見ました。
本当に本当に楽しかった。





おまけ
今回のアメリカ遠征で披露した演技で、僕はダンスを考えさせてもらいました。アメリカのダンスでどうしてもやりたいことが1つあったからです。
それは2019年 14期さんのアメリカでのダンスを再現することです。
「We are WASEDA」の効果音と共に、ガノンドロフさんがソロで天を指さすあのシーン。初めて見た時に鳥肌が止まりませんでした。きっと僕だけじゃない、あの日生で見ていたアメリカ人だってそうなったはずです。
たった4カウントの振り付けだけど、それだけで人の心を大きく動かせる。
自分があの時受けた衝撃を、今度は自分が誰かに与えたくて、それが実現出来たことがとても嬉しかったです。








アメリカで得た全ての経験はきっとこれからのSHOCKERSを強くします。

歴代のSHOCKERS OBの方々
渉外担当をしてくれたエヴァフィー、こーへぇ
僕達がアメリカでこんなにも素晴らしい経験ができたのは間違いなく皆さんのおかげです。
エヴァとこへは急いで引き継ぎ資料を作っておくんだよ。


本場のチアリーダーの標準装備が2捻だったこと。
本気でチアリーダーと名乗る以上、彼らに肩を並べて引退をしたいと強く思いました。まだ1捻すら怪しい自分だけど、現役のうちに必ず2捻に到達してみせます。


たった2分半のための60万だと思ってたけど、全然そんなこと無かった。
SHOCKERSとして過ごす2年半を、最高のものにするための60万。
上手く言えばそんなところでした。


バカ長い文章、ここまで読んでくださりありがとうございました。
今後のSHOCKERSの活動にも、ご声援とよろしくお願いします!乞うご期待!!




19期 安室K
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