むかし ちょっとだけ 漢詩を習ったことがある。
漢詩を習うっていっても
昔の漢文や漢詩を読むんじゃなくて
漢詩を 自分で作るのだ。
(もっと言えば 自分で漢詩を作り それを書の作品にするっていう 書家の勉強(>_<))
もともと 中国のものである上
いろんなめんどくさいルールがあって
本当に難しいパズルを解くようだった。
結局たいしてできないまんま
結婚を機に引っ越し 生活も変わり そのままやめてしまったのだけど。
漢詩には 詩語ってのがあって
今の日本の漢字や熟語とちょっと違う
熟語みたいなやつがあって
それをうまく組み合わせて 風景やキモチやいろんなことを
決まった行の決まった数の
しかも漢字ばかりの詩のかたちにしていくのだ。
そうそう!
思い出したけど なんか 読みの韻もあって
それも一定のルールの下で並べなくちゃいけなかったな。
起承転結にも しなくちゃいけなかったなぁ。
だから 今のきもちを今のコトバでささっと
こんな風にあらわすこと出来なくて 苦しんだなぁ。
まだ とっても若かったから(20代前半(ё_ё)♪)
キモチはいつだってはじけてたし
いろんなもの 見れば見るだけ感動してたし
聞けば聞くだけ 興味津々
生意気だったから いっちょまえに<じぶん>を出したかったし
<じぶん>が 選んだものには とことん惚れこんでたな。
だから なにかで<じぶん>をあらわしたいって
半人前が がちゃがちゃやってたなぁ。
なんでも出来る気でいたしね。
はずかし~(/ω\)
そんな 生意気なワタシにとって
漢詩はまさに オトナだった。
ぶつかっても ぶつかっても びくともしない
とてつもなく大きな頑丈な壁だったな。
言いたいこと 伝えたいこと 発散したいこと
<どうぞどうぞ おやんなさい>って おだやかに微笑む壁だったな。
まぶしくて でっかい 太陽みたいな。
雪が降り続いた夜が明け
青空に太陽が昇る
カーテン越しに光を感じ いてもたってもいられずベランダに飛び出したよ
息をのむような光景
一面の雪景色 そしてそれは太陽に照らされて輝く
いつもと同じ 団地のベランダからの景色なのにね
向こうに見える富士山と 団地の集会所の屋根が 向かい合った兄弟みたいだよ
見上げると 空を 白い象がゆっくりゆったり 通っていく
寒さに縮こまっていたひとびとも
次々おもてに出てきたよ
まあたらしい 光を 空気を 体中ですいこんでるよ
<雪晴>っていう詩語が たしかあった。
いつか 使ってみたいと思っていた。
雪が晴れたこんな日には
いつも 思い出すんだよ。
なんだかね とてつもなく うれしい感じがするんだ。
漢詩をいつか
出来るようにはならないと思うけれど
でも今はそんなことより
雪が晴れたこのわずかな時間の 自然とニンゲンのキラキラした時を
感じられることがうれしい。
そしてそれを教えてくれた、当時のオトナ達に感謝したいな。
雪が降っただけじゃ
雪が積もっただけじゃ
こんな 影もみれないし
こんな 太陽のいたずらも みれないよね♪
ふと、現実に戻ると
今日も時計が追いかけてくる。
でも 今日は気分がいいな。
<雪晴>の <立春>だもん。
\(^O^)/