今朝に新聞より
障害者の就職問題について書かれていた。
その中で
「人の究極の幸せは4つです。人に愛されること。人に褒められること。人の役に立つこと。人から必要だとされること。愛されること以外の3つは、働くことで得られる。障害がある人が働こうとするのは、幸せを求める人間の証なのです。」
の一文に惹かれました。
と同時にアランの幸福論の一説を思い出した。
■あんなことをしたかったのにできなかった人、
何かほしいものを手に入れることができなかった人、
それを誰々のせいだと不平不満をいう。
あるいは運が悪かったという。
でも実際には誰かのせいではない。
しかし、運が悪かったというのはまさしく真実だ。
その悪い運とは、自分が本当はそれをほしがらなかったということだ。
ほしいという希望を持つだけでは何事も変化しないし、
何事も起こることはない。
夢想するだけでなく、自分の指1本でも動かしていれば、
思うだけでなく、積極的に行動していれば、確実に得ることができたのだ。
なのに、多くの人は怠惰なまま、安穏と座ったままでいて、
いまだにぼんやりと夢想しながら、
他人や運や星のせいだと不平を口にする。
←まさにおいらのこと・・・胸が痛みます。
■幼い子供たちを見よ。彼らは幸福だ。
彼らは粘土をこねて動物やへんてこりんな怪獣を作る。
そして幸福になる。
彼らは土をいじくって城を作ったり、花壇を作ったりする。
そして幸福になる。
ほんの小さなもの、大人の目からすればどうっことのないものに、
子供たちは一心不乱にたずさわって自分の幸福を作り出しているのだ。
不幸な大人たちはそれを知らない。
幸福はどこからか舞い込むはずだと身勝手な空想をしたり、
お金と幸福を結びつけるような考え方しかできなくなっている。
幸福は自分で作り出すものだという
あたりまえのことをすっかり忘れてしまっている。
■何か自分にしかできない能力を身につけている人は幸福である。
だまされて無一文になったとしても、彼は貧しくなったわけではない。
誰も盗み取ることのできないその能力ゆえに、
以前と変わらず、豊かで幸福だからだ。
←熱中するものがある人はうつくしい!