震災から1年経ちました。
ここ1週間、テレビや新聞の報道を見て思うことは、自然の驚異をあらためてまざまざと見せつけられたこと、愛する家族や友人を失ったみなさんの悲しさや悔しさや苦しさを考えると胸が締め付けられる思いがすること、そして「復興」が遅々として進まないことへの苛立ちを感じています。
震災直後、わたしは自分の職場と家族を何とかしなくてはとの思いから、他人の状況を慮る余裕などまったくなかったことを思い出します。
そして「計画停電」「ガソリン不足」。当たり前にあるものがないとこんなに不便

大変

困難

なのか思い知らされたことを思い出します。
その後、1ヶ月が経ち、仕事や生活が落ち着きを取り戻したころ、「わたしにできることは何かないか?」と考え、友人を誘って、福島県いわき市に災害ボランティアに5回行ってきました。
ボランティアに行って感じたことは、がれきだらけの街が少しずつきれいになり、壊れた家屋が解体され、街が少しずつきれいになっていくことに「復興の足音」を最初は感じていました。
ところが、「復興」がすぐに果たされることはなく、きれいになった街に、新しい住宅がすぐに建設されることはなく、「うちの土台だけが残った殺風景な街」になってしまったことに、一抹の悔しさを感じています。
いま被災地にとっての最大の課題は「がれきの処理」だと思います。がれきが2500万トン

ゴミに換算すると20年分だそうじゃないですか?被災地で処理することは到底無理なことでしょう。
このがれきの問題、「わたしたちに何かできることはないでしょうか?」
「がれきの処理を東北地域以外の自治体が受け入れない」問題、なんとかならないでしょうか?
「放射能が心配」
「行政の対応が信頼できない」
それはよく理解できます。ただ、自分たちの主張ばかりして、相手の立場を考えないことは、「被災地の切り捨て」にならないでしょうか?「被災地の復興があってこその日本復興」ではないでしょうか?被災地の苦境を乗り切るためには「絆(きずな)」が大切ではないでしょうか?
「わたしたちに何かできることはないでしょうか?」
みなさんにもぜひ考えてほしいと思い

しました。何が正解なのかはわかりません。ただ、がれきの処理の問題ってすごく重要だと思っています。
少しでも被災地のことに関心をもってもらうことが、わたしに与えられた役割かなと勝手に勘違いし、個人的な意見を綴ってみました。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます。ご意見や思いを返信してくれるとうれしいです
