フルタイムの仕事を減らしたので所属する小社会も減らしている。所属団体としての学会もしかり。いくつかの会は長年居たが演題発表、提案意見を言うほどの興味情熱がなくなり退会した。研修会も行くと気を使ったりする。金銭的にも厳しくなりお出かけは減った。開催現地に直接行かなくても視聴や参加ができる方法は便利である。併用してほしい時もある。シーズン時には開催がいくつも重なることがある。
入会はしていないが気になる団体がある。非学会員でも受け入れてくれるお医者が多い学会の大会があったので行ってみた。精神科医療史に関する学会である。今年は作業療法の学会と重なったが、開催地の沖縄は遠い。作業療法学会は行かずともオンデマンドで視聴できる。もう一つ別の研修会のお誘いがあったが、どちらもリアルタイム参加はあきらめる。気になる方の会場は新宿で2日間、朝早くから電車に乗って行く。久しぶりに夕方まで座って演題発表や講演を聴いた。
会場に医師、研究者(歴史学)ほか50名ほどの参加がある。静かな落ち着いた雰囲気である。高層ビルの病院の9階に臨床講堂という場があり、コンビニやレストラン、屋上開放フロアが病室病棟が階上にある。医療者患者面会者などが行き来するオープンスペースはこのフロアで感染が起きた可能性がありますと5月付の貼り紙あり。それでもゆったりとした雰囲気がある。その一角の講堂、150人くらいの座席の場がある。学会大会はそこで行われた。演題は投影資料が素晴らしくお話も上手な先生が居るが、若めの先生で、不慣れな先生もいる。60年以上も臨床や研究を続け、投影資料ではなく紙の資料を配布してお話しする先生もいる。その先生を含め私にとっては参考になる本を書いた高名な先生が多く居る。その著作や編纂資料には大変勉強させていただいている。登壇しているそういう先生方の姿を拝見し聴いていて経歴も見てこういう研究者だったのかとうれしくなった。
進行はせかさず、発表が超過しても質問を待つ体制で時間はずれ込んでいく。悠々とした上品な感じの人たちが多い。姿勢を崩す人はそうそうないが年齢層は高めで、銀座のシャッポがよく似合うみたいなフアッションをしている人も居た。代々医者、留学経験あり、地味だが、真面目、ちょっと変わり者という人が多いのではと見た。
18世紀のヨーロッパの臨床家や研究者や疾患の定義の変遷、史料をもとに発表がある。ヨーガの歴史や18世紀のアフリカの英国植民地における患者が刑務所から収容施設にどのように移送されたかを調べて報告した人も居た。うつ病やてんかんの定義の変遷とか、精神医学黎明期、疾患特定解明時、第2次世界大戦前後の研究者たちの苦労やつながり、エピソードなど興味深い。アーカイブとしての資料やカルテの保存についての提案や研究中の話など、興味深いものはつきない。外国や日本の文献や資料を丁寧に整理して発表される先生ばかりで、この年になって恐縮しきりで聴いていた。アドルフマイヤーとかデューイという名前も話題に上がり作業療法の源流の人だよなあと記憶をたどる。今の流行にない昔の精神分析家、心理学者もここでは生き生きとして語られている。
時々、頭がいっぱいいっぱいで居眠りをしてしまい時間を耐えることもあった。ついていけないわけのわからない中身があり、その感想を話して愚痴る知り合いはいない。しかしながら、それなりにしっかり学んでいるような気分になる。新しく聞く言葉をメモ、ノートをとる。疲れ果てて家に着くというのもいいものである。
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