今期の国会では宗教団体の関連が話題になっている。民法の戸籍の条項関係の改正、親の懲戒権の撤廃がされたという。障碍者支援は改正法が成立した。2024年の施行である。

 

 精神科病院への入院の要件、グループホームからの独り暮らしに向けて、事業者が支援することへの後押しや就労選択支援に関して、総合支援法や難病医療支援法、精神保健福祉法が少し変わるようだ。精神障害に関しては、特別な感染症を除く他の疾患や障害とは異なり強制入院の規定がある。今回は医療保護入院に際し家族の同意が撤廃されたが、医療保護入院が乱用されないかという危惧は残っているようだ。

 

 精神保健指定医の診察と判断で行動制限を伴う行為や強制入院が取り決められた。精神科病院へのひどい環境や人権侵害が外国からの是正勧告、事件や報道で話題になり、病院長を始めとする医療者、私人が人権を侵害する行為を行わないよう、法律が精神衛生法から精神保健法に代わったのは30年と少し前のことである。専門家としての精神保健指定医や医療体制はきちんと機能するのかどうか。

 

 この30年の間に精神科病院に入院する患者は高齢者認知症も多くなり、長期入院の障害者も高齢化している。それに対応していく病院も増えた。認知症を含む一般の高齢者には介護保険を利用した施設での対応や医療病院、在宅での支援を受けての生活も選択肢がある。そちらでは、介護予防、寝たきりゼロ、拘束ゼロ、支援者支援などの活動がある。しかしそれとは別世界で、まだ、高齢の長期在院者が多く居て、認知症で対応が難しい人を早期退院、地域支援活動で空いた病床を転用し受け入れをしている精神科病院はある。

 

 病地学会の総会・大会でのシンポジウムでは拘束の問題を国会質疑で取り上げることができたという報告があった。

 

 拘束数が10年間で2倍になっているという。不必要な拘束についての当事者家族からの上訴は最高裁で勝訴を得た。それを受けてか、精神保健福祉法の行動制限の規定や省令に、拘束行動制限の要件として医療の裁量を文言に盛り込む省庁案があるらしい。国会の答弁では拘束の実態について民間調査団体に研究を委託しているということも明らかになったとのこと。

 

 シンポジウムの当事者の体験を聴くと、拘束した医師やスタッフの観察・判断と拘束をされた当人の思いには乖離があるようだ。急性期で自傷他害のおそれ、必要な医療行為が行えない可能性がありやむなく最小限に行うというのがさらに拡大解釈されないか。

 

 

 一方、不必要な拘束を止めようと病院経営者が決め、そのように環境や観察や話し合い情報交換を重ねた病院がある。拘束にはかねてより疑問をもちつつ、指示に従い行っていたが、「その気になれば拘束は減らせる」という自信を得たという報告があった。

 

 隔離や拘束の治療上の有益性を主張した時代があった。精神分析を背景にした発達過程の再現、治療者は親の代理として超自我的な立場で行動制限をして、治療する。そういう治療を受けたという患者さんに会ったのは、そういう理論の治療が減りつつあった1990年代前後のことである。そのような考えが残る病院に私は作業療法士として就職したことがある。

 

 ある人は具合の悪くなったときに院長抹殺計画を企て他の患者を巻き込み扇動したらしく、計画に巻き込まれた患者が怖くなって具合が悪くなった。その人は長期間拘束されて身体に褥瘡を作ったと看護師から聞いた。そのあとが体に残っているという。家族とのかかわりを見ていてその関係が本人の行動や気持ちに影響しているようにも思えたが、結局入院も拘束もして医療者が家族の代理をしながら働きかけたがご本人のパーソナリティに絡む病理を変えるようなことはできなかったようである。当の家族は家を売り高齢者施設に入居して、入院している本人は病院が家になった。患者の病理は時に家族やスタッフをまきこみそのようにおかしくさせるという医療文化がある病院であった。私が関わった時は当時の院長は急逝し代替わりしたことがあって開放化や退院促進の変革が加わっていた。その人は知的な能力はあり自分なりに納得できる生活へ向けて努力はしていたが、新しい環境に適応する時間を必要としたようだった。

 

 また1か月に一度、「暴れちゃうから」と自ら拘束や隔離室を申し出て拘束されていた知的障害の長期入院患者がいた。家族や知人からの搾取や虐待を受け、病棟でも他者に使われていることがあった。おどおどし孤立していた。当初は警戒され作業の参加には拒絶の態度があった。作業療法のプログラムで、自尊心を保てる活動や適切な対人関係をもち友人をつくり、活動をしていただいた。喜怒哀楽、つらさをスタッフに話したり、我慢できたり、他者の不当な要求を断ることができるようになったときにはそういう拘束の希望はしなくなり退院した。

 

 私の父が脊椎の骨折で入院しなければならなくなったときに、希望の病院は満床で、見取りの多い老人病院に入院したことがある。そこの部屋やその病棟にトイレはなく患者がベットを離れ、歩くということを想定していないようであった。ベッド上にいる患者ばかりだった。会話ができる人はみなかった。自力で動けないか、拘束されていたかもしれない。生もの、生花は持ち込み禁止で衛生やには気を使い、臭いはなかった。面会に行っても医者もリハ技師も一度も顔を見せず、回復し自分で少し歩けるようになったころに父は退院した。