12月31日



二月堂を後にして、鐘楼の丘へ行きました。



        鐘楼(国宝)
重源上人のあとを継いで東大寺の大勧進となられた栄西禅師が鎌倉時代(承元年間・1207~10)に再建したものです。
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1月1日0時から除夜の鐘をつくことができます。鐘が大きいので8名ずつ程の組で綱をひきます。約800人余りの人が参加可能です。(整理券配布は大晦日22時半より) 
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        大鐘(国宝)
梵鐘は、総高3.86m、口径2.71m、重量26.3tあり、撞木はケヤキ造りで、長さ4.48m、直径30cm、重さ180kg、金具を入れると約200kgもあります。 大きな釣鐘であるところから古来東大寺では大鐘(おおがね)と呼んでいるそうです。
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大仏開眼と同年に鋳造された大鐘は、鐘声の振幅が非常に長く、「奈良太郎」と呼ばれ、日本三名鐘のひとつです。鐘楼、梵鐘ともに国宝です。大鐘は752年(天平勝宝4年)に鋳造されたといわれていますが、その後、1070年(延久2年)10月と1096年(永長元年)10月の地震で墜落し、また1239年(延応元年)6月には龍頭が切れて転落しましたが、すぐに修理されたことが修理銘によって知られています。
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        御朱印        鐘楼
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        念仏堂(重要文化財)
鎌倉時代の建築物で、ご本尊は、鎌倉時代の地蔵菩薩坐像(重要文化財)。1180年(治承4年)の南都焼討で先陣を勤めた阿波重能らの罪を救うため、重源の発願で造立されたものです。お堂に向って左側に御朱印の受付場所があり、そこでお願いすると堂内にあがって参拝できます。
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        御朱印        念仏堂
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        行基堂
江戸時代に東大寺復興に貢献した公慶の発願で作られた「行基菩薩坐像」が安置されています。
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        御朱印        行基堂
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        俊乗堂
鎌倉時代に東大寺の大仏と大仏殿の再興を果たした俊乗坊重源を祀る御堂です。元禄年間、同じく東大寺復興のための勧進に努めた公慶が、重源の遺徳を讃えて建立したもので、現在の建物は、1704年(宝永元年)に再建されたものです。
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中には重源上人坐像(国宝)、愛染明王坐像(重要文化財)、阿弥陀如来立像(重要文化財)が安置されています。
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        御朱印        俊乗堂
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        パンフレット  重源上人坐像(国宝)
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        辛国社(天狗社)
東大寺創建に携わった朝鮮系の渡来人を神格化した韓国翁を祀っています。
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鐘楼の丘にある、鐘楼も大鐘もとても規模の大きなもので、迫力がありました。
この日は大晦日で、まだ午前中でしたが、整理券配布の列に並ぶ人がいてびっくりしました。
約800人の人が撞くことができるそうですが、どのような音なのでしょうか。

念仏堂の左側にある御朱印所で、念仏堂、行基堂、俊乗堂の御朱印をいただくことができます。
鐘楼の真下で鐘楼の御朱印をいただくことができます。