弘明寺観音

10月9日



總持寺を後にして、車で30分のところにある弘明寺観音に行きました。



高野山真言宗 瑞應山 蓮華院 弘明寺
別称  弘明寺観音
ご本尊  十一面観世音菩薩
神奈川県横浜市南区弘明寺町
参拝料  志納



        仁王門
江戸時代に再建されたもので2002年(平成14年)に改修工事が行われました。
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        扁額        提灯
「瑞應山」の扁額は1722年(享保7年)に没し、徳川幕府に仕えた書家佐々木玄竜の書です。
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        仁王像(市指定有形文化財)
13世紀後半、早期運慶様を尊守する鎌倉仏師の作。神奈川県下に遺る最古の中世作。2001年(平成13年)に修理が行われました。
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        六地蔵        子育て観音
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        参道
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        身代地蔵菩薩
2001年(平成13年)6月、京浜急行電鉄会社設立100周年を記念して、全ての人々の病気平癒、身体健全を祈願するために奉納されました。身体の悪いところと同じ場所をタオルやハンカチでさすり祈願することで、自身や家族の身体を癒してくれます。
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        手水舎
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        本堂
1044年(寛徳元年)3月10日、光慧上人により本堂が建立され、開山されました。現在の本堂は、1766年(明和3年)に智光上人により再建されたもの。光慧上人が建立した時の古材である、チョーナ彫の床板などが使用されています。1976年(昭和51年)に茅葺より銅板葺に改修されました。
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        聖天堂(しょうてんどう)
818年(弘仁9年)弘法大師が回国の際、この地に不思議な力を感じて、聖天(大聖歓喜天)を彫り安置し、一千座の護摩を焚いて庶民の幸福を祈願したとされます。
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        大師堂(だいしどう)
真言宗の宗祖、弘法大師を奉安しています。弘法大師が814年(弘仁5年)に当山を訪れ、聖天(大聖歓喜天)を彫り、山上の奥の院に奉り、衆生救済のために一千座の護摩を修法したと伝えられます。弘法大師は今でも高野山奥の院に住み、人々の幸福を祈り続けています。
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        七ツ石(ななついし)
善無畏(ぜんむい)三蔵法師が渡来の際、当山の霊域を感得し、陀羅尼(だらに)を書写して結界を立てた霊石。尾りょ石と刻してある「尾閭石」や大黒天の袋に似ているので名付けられた「福石」があります。
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        鐘楼堂(市指定有形文化財)
梵鐘は、鋳銅製の和鐘で江戸時代中期の1798年(寛政10年)、阿闍梨(あじゃり)秀光が願主となり再々造したもの。江戸神田に住む西村和泉守藤原政平という鋳物師(いもじ)の作で、川崎大師平間寺の梵鐘も同人の作。現在の鐘楼堂は1998年(平成10年)に改修されました。
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        楓関門(ふうかんもん)
1411年(應永18年)建立。1908年(明治41年)新堀源兵衛氏修築。1923年(大正12年)9月1日、関東大震災で倒壊後、1929年(昭和4年)再築。2004年(平成16年)平成の大修築にて修復。
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        稲荷
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        御朱印
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弘明寺は、737年(天平9年)行基上人が聖武天皇の勅命を受けて、十一面観世音菩薩をご本尊に開基したのが始まりと言われています。
横浜市内最古の寺院で、ご本尊の十一面観世音菩薩は平安時代の作といわれ、国の重要文化財に指定されています。
鎌倉時代には源将軍家累代の祈願所となり、戦国時代には北条早雲から寺領を、江戸時代には歴代将軍から朱印地を賜り、大寺院となりました。
しかし、明治時代には神道に属さぬ仏教寺院は全国で大弾圧を受け、弘明寺も無住職の寺となり、寺宝の数々や住職の系図までもが紛失する事態となり、寺領も横浜市に寄贈され従来の2割り程度に縮小しました。
1901年(明治34年)渡辺寛玉師が住職に就任すると、弘明寺保勝会が設立され、弘明寺の復興と町おこしに皆邁進しました。
1976年(昭和51年)には、美松寛海和尚により本堂屋根銅板張り替え工事、客殿改修工事が行われ、続いて美松寛定和尚により「平成の大修築」が実施され、現在に至っています。
門前の商店街には、312mのアーケードが建築され、下町の風情を残す人情あふれる街として、しばしばテレビドラマやCM撮影に使われています。