<医療費は本当に高騰しているのか―その3―高騰ではなく自然増> | 眠れぬ夜に思うこと(人と命の根源をたずねて)

<医療費は本当に高騰しているのか―その3―高騰ではなく自然増>

わが国の安価で高効率の医療は、医師たちの自己犠牲によって維持されているといっても過言ではない。OECD加盟30カ国の人口1000人当たりの医師数は平均3人である一方、新生児死亡率がもっとも低く、WHOが世界一と認める日本の医師数はわずか2人に過ぎない。WHO加盟国全体の192カ国では、日本の医師数が1.98人で、63位という有様である。
この数字が意味するものは、医師一人ひとりにかかる過剰な肉体的精神的負担の存在である。医師一人当たりの荷重、負荷は小児科、産科、救急医療を中心にひどくなる一方で、20代男性勤務医の一週間あたりの勤務時間は77.3時間(厚労省の「医師需給に係る医師の勤務状況調査中間集計報告」より)に達し、公立高校教員の52.5時間(文部科学省の「教員勤務実態調査報告書」より)や、国家公務員の46.9時間(人事院「平成17年度時報告書」より)に比べ、突出している。実際、小児科医は少ない人数の中で無理をするため、過労死が後を絶たない。医師たちの自己犠牲は払える限界に達しているのだ。

こうした状況を作り出した原因は、長年にわたる医療費抑制政策にある。病院が経営を維持するためには人件費を抑制せざるを得ず、その結果がこうした医師の負担増となって顕れているに過ぎない。それでもなお、病院、診療所の経営状態は悪化の一途をたどっており、損益分岐点比率は90パーセントを超え(損益分岐点比率:実際の売上高に占める製造費の割合。損益分岐点比率が0.9(90%)なら、売り値100円の商品を製造するのに90円かかったことを示し、この比率が低ければ低いほど収益力が高いことを示す。)、経営的に危険水準に達している。実際、病院、開業医の倒産件数は昨年だけで48件あり、前年比6割増である。

過去の診療報酬改定では、2002年度が全体でマイナス2.7%、2004年度マイナス1.05%、2006年度マイナス3.16%と削減が続いたが、この間にGDPは上昇に転じたため、診療報酬とGDPの格差は開く一方で、昨年度は実に9.3ポイントの拡大である。
小泉政権の5年間では、1兆1000億円の社会保障費削減を掲げ、医療と介護を併せて6800億円が機械的に削減されてしまったが、社会保障費の自然増を考慮すれば(厚労省は医療費が年間3~4%増大するといっている)、その5年間で本来あるべき社会保障費に対して累計3.3兆円が削減され、その65パーセントを占める医療費は2兆1000億円が削減された勘定となる。
既出の資料にもある通り、対GDP比総医療費は、OECDの平均が8.9%だが、日本は8.0%で加盟30カ国中21位である。もっとも、OECDの加盟国は格差が大きいので、比較的均等なG7と比較すると日本は最下位である。G7の対GDP比総医療費10.2%に並ぶには、総医療費を現在より27.5%引き上げる必要があるのだ。果たして、これでもなお、医療費高騰を既成の事実として削減が必要なのであろうか。

毎年、新聞には「昨年度の医療費は~兆円で、前年比~%の増加である」などと活字が踊る。多くの国民にとって、~兆円という数字には現実感がなく、ただ、巨額であるという漠然とした印象しか残らない。そうした中、「増加」の二文字にとらわれてしまって、物事の本質を見極めることができない御仁が多いのである。
総じて、人は変化に対して不安を覚える生き物であるため、この増加を容認できない。従って増加はいけない、削減が必要だという話になってしまうのだが、これは全くもって理性的な判断とは言いがたいのだ。
先進国の人口動態は高齢化に向かっており、高齢化とともに医療費が高まるのは当然の帰結である。この自然増を否定しようとすれば、不自然が生じるのが当たり前なのである。
多くの客観的なデータが、現状で日本の医療が安価で高効率であり、これ以上医療費を削減する必要のないことを示している。
にもかかわらず、業界圧力の乏しさに乗じて医療費の削減を続け、他からの財源確保に疎かであるのは政治の怠慢といわざるを得ない。
少なくとも、この日本においては、どこかの国を模範として医療費を削減する必要はなく(模範とすべき国が見当たらない)、自然増加する医療費をどこからまかなうのかについて議論することこそ、肝要といえるのではないだろうか。

参考資料:岡山県医師会報弟1238号P210~211