1964年松竹『青い目の嫁はん』
1964年度松竹京都作品
『青い目の嫁はん』
監督 川頭義郎
原作 松山善三
音楽 木下忠司
出演
(エルザ・ハドソン)
イーデス・ハンソン
(丸橋吉男) 藤山寛美
(丸橋剛太郎) 笠智衆
(藤野なみ) ミヤコ蝶々
(吉田正三郎) 千葉蝶三郎
(藤野新介) 三上真一郎
他…
……………

今では国際結婚は珍しくない時代であり、テレビのバラエティーやトーク番組に外国人タレントが多数出ている。
この作品が公開された1964年は東京オリンピックが開催された。
戦後復興の為にガムシャラに働いてきた日本人が世界に目を向ける余裕が出来てきた頃である。
主演したイーデス・ハンソンは兄に連れられて大阪の地に来日した
故に彼女は後年大阪弁を話すおかしな外国人タレントとして人気を博した。
彼女にとって2本目の映画出演であり、お話に出てくる文楽浄瑠璃の演者と結婚しハッピーエンドになるが…
実際にハンソンは短い間だったが文楽浄瑠璃師結婚している。
結婚が前年の1963年である事から、ハンソンの物語と解釈も出来る
当時新婚生活をおくるハンソンの写真が週刊誌に載った。
私も見たが、そこには高級アパート(だったと思う)の自室前を小さな箒で掃いてる姿だった。
子ども心に綺麗と感じた。
……………
作品を紹介するについて、
当時小学4年生だった私には失念部分が多い為に蔵書手元に置き書いてみたい。
………
(あらすじ)
アメリカから留学していたエルザ・ハドソン(イーデス・ハンソン)は下宿の娘勧めで京都、奈良見物に出かける。
そこで適当なガイドをしている丸橋吉男(藤山寛美)に出会う。
出鱈目なガイド非難して帰って来る(京都の事を勉強していたハドソンは詳しかった)
怒り収まらぬエルザに下宿先の娘は文楽見物を推める。
翌日文楽座を訪れた彼女はそこで再び丸橋吉男に出逢う。
実は吉男こそ吉田小吉であり、アルバイトでガイドをしていた。
文楽を観たエルザはすっかり感動して、小吉を楽屋に待ちうけ弟子入り志願をする。
(現在外国人が日本伝統芸術に携わっている人もが、当時はそのような事は珍しかったのではないでしょうか…)

小吉は相手にせず遊び半分で言ったら困ると思ったが、エルザの本気さと真面目さに弟子入りを許した。
それからエルザの文楽生活が始まり、戸惑う事や文楽に置ける日本語の難しさに苦労する。
そんなエルザは兄弟子達ちからは良い目で見られない。
さらに文楽が一部のファンにしか知られていない事にエルザは
『文楽を世界に知らせるよりも先に日本に紹介する必要がある』と説く強硬な意見にさらに反感を買った。
しかし、小吉はエルザの熱心さにひかれ人形を手にしていろいろと教える。
それを知った小吉の師匠吉田正三郎は、彼の芸に支障きたす事や文楽に外国人が入る事に憤りを感じていた事などがあり、エルザとのつきあいを禁じた。
余りのことを言われた小吉は師匠に口答えする。
《このシーンは私も覚えているが、のほほんとして優しい藤山寛美が怒って師匠に反論する姿を観て言うときには言うんだ》と思ったもの。
寛美は松竹新喜劇の舞台であほ役を演じていても理不尽な事を言われると学識ある人もぐうの音も出ないセリフを言ったりする。
が、師匠に口答えするそんな小吉をエルザは逆に叱りつけ、自らも正三郎の前に手をついて詑びるのだった。
何だかんだがあった小吉とエルザは師匠と弟子の関係から男女の交際としては進んで行き、やがて2人は婚約する
が、エルザの父は遠く離れた日本にそれも伝統形式を重んじる文楽浄瑠璃世界に嫁に出す事に反対し
小吉の父も反対だった。
そんなエルザをなみ(ミヤコ蝶々)は、励ますのだった。
なみは、兄の剛太郎にエルザとの結婚を許すよう掛けあう。
難くな結婚に反対していた剛太郎だったたが…
あまりに熱心な二人のようすに、ついに剛太郎も折れ、エルザの父が日本にやって来たのを機会に、ハドソンの父も承服した。
ここに、芸術を基にした、青い目の花嫁はんが誕生した。
………
今、観ればイーデス・ハンソンの芸が万全であったかどうか批評出来るかもですが…
お話の内容は良かったと思います




