†堺 駿二†…天才喜劇俳優と呼ばれて | shoの映画部屋

†堺 駿二†…天才喜劇俳優と呼ばれて

俳優加賀邦男氏
(悪役俳優、志賀勝の父)のインタビュー記事にこんな一節がある。
『劇団の座員の大人の話を横で小っちゃな子供が聞いているの、面白い顔した子供が…その小さな子供やる事見てると図ば抜けたところがある。しじみ売りの芝居で上手いんだ、物凄く上手い…
僕は他の座員に「あの子誰れ、名前は?」って言ったら小伊村義雄…
僕はあの子は凄い役者になると…
それが後の堺駿二だった』
【東映チャンバラ黄金時代・ワイズ出版】より


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子供の時に新派の伊村義雄一座に入り、子供ながら殺陣をやらせても女形を演じさせても上手にこなし周囲を驚かせた。

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1932年に帰国していたあの国際俳優早川雪州の一座に弟子入り。
1935年浅草オペラ館では、シミキンこと清水金一とコンビを組んでいた。

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1940年清水が映画会社専属になると突如俳優を引退。 ホテルに勤めたり、甲府市で文房具店を経営していた
            
1942年俳優復帰後、水の江滝子が主宰する劇団に入り後に映画に出演。

長谷川一夫、市川右太衛門などの脇でそのコミカルな演技は時には主役を喰う事もあった。

1968年公演中に倒れ帰らぬ人なった(享年54歳)

子息堺正章

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……………………
東京出身
幼い頃から芸に長じ子役ながら、その芸には周りの大人俳優も一目置くほどだった。
1935年浅草オペラ館に入る
………………………………………主な出演作品

1940年東宝「電撃息子」
1946年松竹「破られた手風琴」
1950年松竹「東京キッド」  
1954年新東宝「ハワイ珍道中」,
1956年大映「銭形平次捕物控」シリーズ作品

1960年東映「右門捕物帖」シリーズ作品
1968年日活「にっぽん親不孝時代」

出演本数、約200本