今年の年頭から我が夫婦で始めたことの一つに「朝の挨拶」があります。二人の子供が独立したり仕事で家を離れたりして日頃は二人暮らしの我が家にとって、妻は唯一無二の話し相手であり重要な相談役でもあります。今日まで何とか無事にやってこれたのも妻の支えと協力があればこそと感謝しています。


 元旦の朝、姿勢を正し、気持ちを新たに「おはようございます。本年もお世話になります。どうぞよろしくお願いします。」と挨拶を交わした時から、毎朝、正座してお互いに目を合わせて「今日も一日、お世話になります」と、挨拶をする習慣ができました。


先日の新聞コラム『中日春秋』の次のような記事が目を惹きました。


 ありがとうの行き先は

 ありがとうが旅をして

 必ずここにもどるとき


 みんなと一緒の

 幸せがある


 ありがとうに

ありがとう


 感謝の気持ちは、巡り巡って戻ってくるような気がする。


 

 夫婦円満の秘訣は「ありがとう」という言葉だと聞いたことがある。お互いにやってもらって当然だと思っているといつか心はすれ違ってくる。照れくさいけれど、婉曲的にでもなく、ありがとうと伝えてみたい。

 

 正座して相手に正対しその目を見つめて挨拶することは、何となく最初は照れくさいことでした。しかしながら、思い切って自分の方から発信してみると、妻も謙虚な態度で受けとめて自然体で返してくれました。以来、このような挨拶を重ねることによってお互いの信頼感が今まで以上に強まってきたように思われます。


 何十年も連れ添い、わかっているはずだと思っていても時としてすれ違うことがあります。自分の想いを具体的な言葉や態度に表して素直に伝え合うことは、お互いの人生を深める意味でもとても重要なことのように思います。



  

 今朝の新聞記事「ソニーの赤字5200億円 デジタル家電各社総崩れ 3月期見通し」が目に止まりした。

 戦後日本の経済成長を支えてきたテレビ事業などが韓国メーカーとの厳しい価格競争の中で不振に喘いでいます。特に日本を代表する企業として世界に雄飛してきたソニーの凋落が顕著です。日本企業の苦戦が残念でなりません。


 ある新聞コラムの次のような趣旨の記事が心に残っています。


・ 創業者と継承者は根本的に違う。新しい事業を起こす創業者は社会的に受け入れられ、認められるだけでも大きな困難が伴う。ところが創業者の後を継ぐ二世は初めから多くの人に認められ、敬意を表されるまぶしい存在である。


・ 創業者は自分の哲学で仕事をしようとするが、継承者はみんなの哲学で仕事をしようとする。自分の哲学で進めばその責任はすべて自分が責任を負わなければならない。しかしながら、みんなの哲学で進むと、例え失敗しても大きな責任を問われないことになる。


・ 従って、創業者の宿命は強い志がなければ一瞬たりとも生きていけないことである。日本経済が活力を維持するためには、そういう創業者がどんどん出てこなければならない。


 日本デジタル家電の衰退の原因としては多々考えられると思いますが、私はその大きな要因として、かつて創業者がもっていたはずの「自分の哲学」や「強い志」が後を継ぐ人たちの心の中にしっかりと受け継がれてこなかったためではないかと思っています。

 デジタル家電業界の問題に留まらず、先人達の歩んだ道に学び、その哲学や志を知り、次代の継承者に引き継ぐことは大切なことだと思います。

 日本再生の願いを込め、この絆をしっかりとつないでいきたいものだと思っています。 






 辛いことがあった時、厳しい現実に直面した時などにふと思い起こす詩があります。それはある展覧会で出会った星野富弘の次の詩です。


 幸せという花があるとすれば

 その花のつぼみのようなものだろうか

 辛いという字がある

 もう少しで 幸せになれそうな気がする


 たったこれだけの短い詩ですが、いつも私の心の奥に残っている詩です。


 星野富弘は若くしてその体の自由を奪われました。体育教師として夢ふくらませて赴任した早々、跳び箱から墜落して手足の自由を失いました。

 以来、その絶望的な日々に光をさしたのは口に筆をくわえてえがく詩画の道でした。必死に障害と戦い、自己回生の道を求める姿が多くの人に感動を与えました。そして、生み出された作品には不自由であればこその大切な気づきがありました。


 「辛」と「幸」の字は、一見よく似ています。「辛」に少し手を加えれば「幸」になります。同様に「辛さ」を「幸せ」に変えることもちょっとした工夫で可能かも知れません。時々目線を変え、価値観を変えて考えてみると、意外に「幸せ」は近いところにあるのかも知れません。


 よろこびが集まったよりも 悲しみが集まった方が

 幸せに近いような気がする

 強いものが集まったよりも 弱いものが集まった方が

 真実に近いような気がする

 幸せが集まったよりも 不幸せが集まった方が

 愛に近いような気がする


 時折、この詩を読み返し、自らの目線や価値観を見直していきたいと思っています。