広島へ戻ったのは、金曜日の夜だった為、この日は僕の実家へ泊り

 

翌朝、病院へと向かった。

 

土曜と言う事もあり、病院内は平日の様な忙しさは無かった。早速

 

受付で義父の部屋を伺い、病室へと向かう。意識はしっかりしている

 

とは聞いていたが、それ以外の情報は無かった為、色々不安を感じ

 

ながら、二人とも少し重たい感じで歩いていた。実際の距離で言えば

 

2・3分で到着出来る距離のはずなのに、10分近くかかっている感覚

 

だった。

 

病室の前に着き、妻が明るく、

 

「お父さん、遊びに来たよ!」

 

と、平静を装って父のベッドへ向かって行く。私も後れを取らないように

 

「ご無沙汰しています!」

 

と、挨拶をしながらベッドへと向かった。

 

義父はベッドに横たわった状態で、

 

「おう。」

 

と、右手を挙げた。

 

見た目には、いつもとそんなに変わった様子も無く、ホッとした。

 

「電話で聞いた時にはビックリしたじゃない!

 

体は大丈夫なの?」

 

「心配することは無いわ。わざわざ来てくれんでも良かったのに。」

 

妻と義父の久々の会話が行われていた。

 

私がその様子を微笑ましく見ていると、遅れて義母が入院中の着替え

 

を持ってやって来た。その表情には少し疲れた様子が見えた。

 

「ごめんね、わざわざ遠くから来てくれて。この人の入院はそんなに

 

長くはないみたいだから心配しなくても大丈夫よ。」

 

と、私たちを気遣うと、すぐに汚れた着物などが入った袋を持って

 

部屋を出て行った。

 

義母と入れ替えで、主治医が入って来ると、

 

「ご家族の方ですか?少しお話をさせて頂きたいのですが。」

 

と言い、私と妻は相談室へ誘導された。

 

用意された椅子に腰を掛けると、

 

「お母さまからお話は聞いていると思いますが、今回の病名は脳梗塞

 

です。以前にも同じ病気を患って、少し障害が出ていたようですが、

 

今回の発症で、さらに状況は悪化すると思われます。少しでも状態を

 

保つために、リハビリ施設をご案内させて頂きたいのですがいかがで

 

すか?」

 

と主治医が私たち二人に提案をしてきた。普通なら妻である義母に

 

する話だが、彼女はすぐに私には難しい事は分からないからと、

 

私たち夫婦に重要な話はしてくれと言ったそうだ。

 

私と妻は少し困惑はしたが、二人で考えても結局は義父が前向きに

 

なってくれないと進まない話の為、義父に相談をした。

 

すると、意外にすんなりと了承した。

 

「それではリハビリ施設に紹介状を書きますね。」

 

と主治医はこれからの予定などを私たち夫婦に説明し、リハビリ施設

 

の手配を進めてくれた。

 

「リハビリ施設の住所はもらったけど、ここってどうやって行くの?」

 

妻が素朴な?質問を僕にしてきた。と言うのも、妻は広島生まれの

 

広島育ちだが、広島の中心地でずっと育ってきた為に、広島の郊外

 

となると、地理がさっぱり頭に入ってなかったのだ。

 

妻から住所をもらい改めて確認すると、路線バスは通っているけど、

 

確かに荷物を持って、年老いた義母一人では持っていける様な

 

場所では無かった。

 

「これは、また引越の日に、一度戻って来ないと行けないね。」

 

「ごめんね、貴方にばかり負担をかけて。」

 

と妻が申し訳なさそうに、僕に言った。

 

本来なら、他県に住んでいる私たちではなく、近くの親戚にお願いと

 

言いたいところだが、妻は一人っ子で兄弟はいないし、義理の両親も

 

兄弟や親戚が既に亡くなっている、または私たち以上に遠方に住んで

 

いる為、頼る人がいない状態だったのだ。

 

ここから、思いもよらない広島⇔高松の往復が始まるのである。。。

 

※日本三大秘境・祖谷のかずら橋(徳島県)