息子が高校生の頃、自分の学力に対して、こんな事を言いました。

 

うーん俺って数学は他人より出来る方やけど

 それ以外は普通やで

 数学だって特別出来るわけちゃうし

 

知らんぷりいや流石に普通よりは出来る方やろ

 文理高校入ってて普通とか言ってたら

 石投げられんで

 

おーっ!ちゃうやん!?

 そもそも勉強頑張ってる人が少ないやん!

 野球やってた人が野球やってない人に

 勝つのは当たり前やろ?

 それと一緒やん

 勉強頑張ってる人の中で

 俺は普通やって言ってんの!

 

アッなるほど、と思いました。

彼の中の『普通』の基準はそうなんだなって。

それと同時に娘の話も思い出したんです。

 

 

娘が美大専門予備校に通う前

初めて体験授業に参加した日の帰り道に、ポツリと言ったんです。

 

キョロキョロ学校では(絵が)1番でも

 1番ばっかり集まってる

 ここでは普通、全然普通

 

その場で入塾を決めたんですよね。

井の中の蛙だった娘が一段上を見上げた瞬間だったと鮮明に記憶に残ってます。

 

そして、その子の中の『普通』の基準を上げていく事が、人を伸ばす力なんじゃないかと思ったのです。