大矢ちき先生はなぜたった四年で筆を折ってしまったのか? | きたがわ翔のブログ

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思っています。

なんかいつもと雰囲気の違うタイトルですが.....

 

 

先日コミティアにて笹生那実さんの研究本、はみだしっ子の謎を読みちょっと刺激を受けたので、今回は私なりの大矢ちき研究(以下おおやではなく大矢に統一)をこのブログにてしてみたいと思ったのでした。

 

しかし私が大矢先生のことを書くのは一体これで何回目になるのやら.....

なぜそこまでこだわるのかというと、単純に先生の描かれる漫画が大好きだったからですが、今回は作品についてではなく、

 

如何にして大矢先生は当時りぼんにて超売れっ子作家だったにもかかわらず、たった4年で筆を折ってしまったのか?

 

これについて当時疑問に感じていたファンは私を含めてかなり多かったのではないかと思います。

回転木馬の連載以降突然先生の名前がりぼんから消えてしまい、大矢先生の次回作はいつですか?と編集部に電話したファンも多かったとか....

 

 

閑話休題

 

 

90年にサンリオから出た雪割草のコミックスにかの大島弓子先生があとがきを書いていらして、そこに、

 

数年前体を壊して漫画を描くのをやめてしまったそう

 

との記載がありました。

 

 

確かに大矢先生の絵はあまりに緻密ですし、実際ルージュはさいごという作品を描かれた後体を壊して次に発表された恋のシュガーワインまで随分と間隔があいてしまったことがあったので、要素の一つではあるのでしょう。しかしそれが決定打ではなかった気がするのです。

その後もぴあ等でさらに体壊しそうな緻密なイラストをバンバン描かれていますしねえ。

 

 

私は同じサンリオ版のキャンディとチョコボンボンのあとがきを書かせていただいた経緯から、当時この全集になぜ絶筆作品である回転木馬が収録されないのか、と編集の女の子に尋ねたことがありましたが、

 

これを出すならラストを描き直したい

 

このようにおっしゃっていたらしいので、当時はここに何かヒントがあるのでは?と考えていましたが、数年前回転木馬のコミックスが結局修正なしの当時のままの形でいきなり発売されることに。

そりゃ40数年前の作品を今描きなおしたら違和感あるだろうなとは思いますが、この部分にも漫画をやめてしまうほどの理由があったとは考えにくいかなあと。

 

てゆーか、大矢先生は現在でも個展をやられたりお元気にされているんですよ!!なら遠回しにぐだぐだ考えず、親しくされている飯田先生を通じて直接尋ねればいいじゃん!!

 

しかし....こういった大変デリケートな質問はやはりご本人にしづらいですし。

 

それからこれは絶対ガセだろうと思うのですが、当時一部の間でまことしやかに、

 

 

某先生が大矢さんのうまさに嫉妬していじめたらしい

 

 

なんて嫌な噂が流れてたりしていたものですから。

 

 

 

 

ここに今から四年ほど前に大矢先生が自費出版された冊子があります。

 

直筆サインの入ったとてもとても貴重なものなのですが、よくよく中身を確かめると、な....なんとこの中に先生が漫画をやめた理由がかなりあけすけに描かれていたのです!!いやマジで!!

 

 

その前にまずこちらを見てください。

 

 

これは大矢先生がまだほんの新人だった頃にりぼん本誌に掲載された自己紹介のページの一コマです。注目したいのが、

 

私、かなりズッコケてるように思われてるけど本当はすごいロマンチストなのよ

 

この部分です。

おじゃまさんリュリュをはじめとするこまごました人物で埋め尽くされた賑やかなコメディが彼女の真骨頂だと思っているファンが多いと思うのですが(ちなみに私もそう)じつはご本人的にはそうではなかった.....

 

大矢先生はシリアスものを描きたかったのです。

 

冊子のなかで核心に触れていると思われる数ページをお見せします。

 

 

 

ここで編集さんがキッパリと、

 

 

あなたはドタバタきゃいきゃいを描いていればいいんです!

 

この言葉、すこ〜し悪意のようなものを感じませんか?

 

つまりこういうことです。ロマンチストな大矢先生はシリアスものが描きたかった。しかし編集さんは彼女にコメディを描かせたかった(強要した?)理由は語られていますが、当時大矢先生に対しそのあたりの説明はなかったようなのです。

作家側としたら、これは非常にしんどいですよね.....

 

大矢先生が活動されていた4年の間に予告とタイトルの違う作品が3作もあります。この理由に対し大矢先生は、

 

シリアスもののネームを作っても没にされてギリギリで描き直させられることが多かった(友人の飯田先生談)

 

 

思い当たるのがこの予告カットです。こちらは並木通りの乗合バスという75年3月号に掲載された(大矢作品の中では初めての巻頭カラー作品)なのですが、このカットを見る限りどう見てもシリアスものに感じます。

 

 

しかし掲載された作品は......

 

う...上のカットと同一作品とは思われにくい。

 

 

 

初めて巻頭カラーをもらい思いっきりシリアスな読み切りで勝負したかった大矢先生は直前でそのネームを没にされ、結果本人的には不本意なドタバタを描かされる羽目になったのかもしれません。

 

そして次の号から始まるシリアス巨編回転木馬。

この作品が事実上の絶筆になるわけですが、大矢先生はもしかしたらこの連載でシリアス描き切ったらもういいかげん漫画家やめよう!と決意されていたのかもしれません。

そもそも回転木馬は担当氏の賛同をあまり得られないままゲリラ的にはじめたものだった、という見方もできる気がします。

 

ちなみにこの号の巻頭カラーは山本優子先生の美季とアップルパイ。

 

回転木馬の連載一回目はなぜか巻中カラーで、しかもカラーページが一ページ少ない。これは一体どういうことなのだろう.....

 

 

丁度この75年あたりを皮切りに、りぼんでは陸奥A子先生をはじめとする可愛らしい乙女チック漫画の嵐が吹き荒れはじめます。

編集部側もその空気を敏感に感じ取っていて、全体的に読者の年齢層を下げたかった、そんな意図があったのだろうと思います。

実際同時期に一条ゆかり先生が描かれた5愛のルールという作品は大人気であったにも関わらずあまりに大人っぽすぎる内容ゆえ、編集部から打ち切り(というより突然の中断)を余儀なくされているのです。

 

一条先生はご本人の根性ゆえそこを乗り切ることに成功。しかし繊細だった大矢先生は.....

 

 

結果、大矢先生にとって回転木馬は長いこと封印したい作品だったのかもしれません。

 

 

 

私は思うのです。上記にもあるように、なぜ担当氏は当時そのあたりの理由を大矢先生に説明してあげなかったのかなあと。

納得して結果オーライとなった大矢先生がその後もっともっと作品を描き続けてくださったら....と本当に残念でなりませんが、

 

それはもう、遠い遠い昔のことなのです......

 

 

回転木馬のコミックスと同時にこの冊子を発表された大矢先生はいろんな意味でお気持ちを清算されたのだろうと思います。

本当にお疲れ様でした!!