金も地位も名誉も欲しい | 波羅さんの戯言

波羅さんの戯言

ヘタレコスプレイヤー・波羅さんが、
日々の愚痴と衣装制作とその他もろもろをつぶやく場所です。
ツンデレ上等!ババァ上等!!って方も、そうでない方も
読みたい人は読めば?的なツンツンテンションでお送りします(たぶん)。

それが人の性だと思ってる。
そういう欲があって当然だと思ってるし、
むしろそういうのが私は何一つないんですと強情に主張する「立派な人」のうち、少なくない人数が、
自分の主張で疲れていることも知っている。

皆様は論語を読んだことがあるだろうか?

私は小学生の頃、よくいる、勉強も運動もそこそこ以上出来る子供だった。
そして性格がかなり自己中だったのにも関わらず、
よくわからないが友達が仲良くしてくれる子供だった。
が、育った環境などの背景から、そんな自分が平凡な人間であることも分かっていたので、
少しでも深みのある人間に見せようと必死だった。
実際に深みのある人間になろうとすれば良かったのだが、素質の違いというものをまざまざと見せつけられながら10年弱育った後では、そんな気力もなかった。
ハリボテでもいいから、とりあえず面汚しにならない程度に「立派な人のふり」をしようと思っていた。
そこで浅はかな小学生が始めたのが図書館の本をひたすらたくさん「借りる」ことだった。
しかしこの小学生は活字が苦手だった。
お話を見たり聞いたりするのは大好きで、月に一度母親と観劇に行くのを待ち遠しく思っている子供ではあったが、
いかんせん、読むという行為は苦手だった。
妄想力こそ豊かだったが、受け取った文字を具現化するということへの想像力が貧困で、とどめに漢字が読めなかった。
けれど本はよく借りた。
いつも図書館の本を持ち歩いていて、貸し出しカードが何枚にもなる。
という、姿に満足していた。当時の小学生たちはあまり本を読まなかった。

それでも借りるだけでは申し訳ないので、たまに読んだりした。
その中でたまたま開いたページに載っていたのが、
「富と尊きは人の欲するところなり」(記憶なので多少違うかも)という論語の一節だった。

お金持ちになりたいとか、偉くなりたいなんていうのは、
人間の欲なんだから、仕方ない。

という意味で、私は「この人正直だなー」と思って、論語を読むことにした。
その「偉くなりたい」は私の「賢く見られたい」と同列だと思ったので、それを大の大人が堂々と肯定するとかすげーなって思って。
凄い後悔した。
読書家ではない私が読む本ではなかった。
けど、中身はすごく面白かった。


ここから本題。
(あいかわらず前置きが長いw)


論語の中に、
金儲けは悪ではない。
偉くなることが悪ではない。
という話がある。

自分の夢や理想の実現のために、
金が必要ならば、稼ぐしかない。
自分の生き方が評価された結果、
名誉をくれるというならいただこう。

つまり、金や名誉が手段や結果であって目的じゃないならいいんじゃねーの?
っていう話で、

あまり頭が良くなくて語彙も多くない小学生は、
モヤモヤっと頭の中で思っていたことに答えをもらったようで、
このおっさんスゲーな!と、
もう、うん千年前に亡くなった偉い人に親しみと愛着を感じたのだった。

かけっこの一等賞もそうだけど、
もともと持っているものとか、比べる相手とかにも左右されるけれど、
頑張ったから評価されるんであって、
そこを皆お手手繋いで一等賞みたいなのは、それこそ自分が負けないために他人を勝たせないっていうエゴや欲を、
「無欲」というオブラートで包もうとする行為の浅ましいことったらないと思ってますし、
寄付や援助は、まずそれを出来る財力があることが前提なのだから、金持つもことが悪なのであれば、寄付や援助も悪から生まれることになるよねっていう、ね。
うちはそこそこ裕福かもしれない家庭でしたけど、
皆がそこそこの地位や金を持っていたのは、それを欲したからではなくて、自分のやるべきこと、やりたいこと、理想や夢を追いかけた結果の副産物だということは小学生だってわかっていましたから。

で、
そんなこんなで、金も名誉もそのものは悪ではないと思う一方で、
それを追うのも人間だとは思うんですけど、

思うんですけど、ね。


最近の皆さんの、なんていうか、オブラートの包み方が、あまりに雑なんじゃないですかね、と。


たとえばこないだから突然大騒ぎになっているコミケの撮影&レイヤーのマナーですけど、
私が見かけてウワァと思ったのはやっぱり自分がレイヤーなのでレイヤー側の姿勢で、

自分の名刺を、まるで駅前でチラシ撒きながら歌ってるストリートミュージジャンの人みたいに置いて、囲みで撮影されてる人とか、

胸の谷間とかホワイトボードに自分のカイブやブログのアドレス書いて、それを写させる、とか、

そういう、
ウン?っていう撮影のされ方をしているレイヤーさんがそこそこの数いらっしゃいまして、

別にROM出してて名刺配って宣伝する友達とかもいるし、そこは仕方ないのかなって思うけど(商品の宣伝が大変なことは本業でもなんでも承知してるので)、
なんていうか、
「あくまでコスプレは手段であって、目的ではない」っていうのが、あまりにあからさまだなって。
昔からトラレタのねーちゃんは一定数いるし、私はそういう人たちも別に「人間らしいな」で片付けてきたんですよね。
だってその人達にもあくまで「コスプレが好き」っていう根本があるのはわかってたから。
「コスプレイヤーとして人気者になりたい・たくさんの人に撮られたい」のが主で、「『自分』が人気になりたい」とかではなかったように思います(そこまで積極的に交流してこなかったことが今更ながら悔やまれます。彼女らの心理を聞いておけば良かった)。
が、
今はあくまで「自分が人気になるための手段」がコスプレなんですよね。

ニコニコ動画の生放送しかり、
ブログのエロ投稿しかり。
どんどん過激になって、どんどん歯止めが利かなくなってっていうのは、全部、
「他人を出し抜きたい」「他人より人気になりたい」
だから
「他人がまだやってないことをやらなくちゃならない」
そのために
「露出する」「ルールギリギリのところ(場合によってはアウト)を攻める」
ってね。

人間が元々持ってる欲、「富と尊き」よりさらに下世話ですが、
「自分が特別でありたい」「認められたい」っていうエゴをゴリッと表にむき出してる感じしか感じないんですよね。
私このあいだ「世界で一番尊い満足の得方は『自己満足』だぜ」って話書きましたけど、
本当にその真逆だと思うのね。
他人ありきで、他人に認められたい、他人を出し抜きたい、全部他人の評価。

コスプレは前よりハードルの低い趣味になりましたよ。
衣装だって安価でどこでも手に入るし、
コスプレイベントもたくさん開催されていて、
以前はネット上でコスプレ通じて交流しようと思ったらホームページを自分で作らなきゃならなかった(だから一定暦以上のレイヤーって衣装の作り方とかだけじゃなくHTMLに詳しかったりする/苦笑)けど、アーカイブやキュアは登録無料で簡単に画像も上げられるしね。
だから簡単に始められる、簡単に「手段」に出来る。

しかもカイブはランキング形式で順位が付く。
順位付けされたら一番になりたくなるのが人間心理で、
(正直なところカイブは、このレイヤー順位?だけじゃなく、
そういう「人間心理」をうまい事使うサイト構成になってるのでそこのところはあまり好きになれないんですが)
そういうのが「特別になりたい」心理をさらに刺激してると思うんですよね。
もともと「特別になりたい」ではなく「コスプレって楽しそう」という心理で始めた人ですら、ネットに翻弄されて、そういう方向に頭が切り替わってしまっても私は驚かない。

そして「ハードルが低くなった」分、コスプレは「お金がかかる趣味」にもなったんですよね。
作って当たり前の時代は(業者に衣装を発注する人もいましたけど)、
大抵の人は作るから材料費くらいしかお金がかからない(材料今より高かったけど)。ウィッグも今ほどガッチガチにセットしない傾向だったから使い回せるし、自毛だって別にどうってことない。小道具もせいぜい30センチ(コミケ基準w)くらいが基本で、まぁたまーに気合い入れて長物作る人がいるくらい。手間がかかるから1クールごとに新作いくつも出す人もそんなにいない。本当に好きで、ずっとやりたい衣装作る人が多かった。
それが全部、良いクオリティのものが、そこそこの値段で売られてる。
だから買う。
買うからお金がかかる。

それをどうやって回収するか、どうやって節約するかってなったら、
お金持ってる人やおごってくれる人にたかるとか、
ROMで儲けようって考えるとか、
って浅はかに考えるのが十代・二〇代前半にはありがちだと思うんですよね。
自分の体なら資本も大してかからないしって思うだろうしね。
で、売れるROMを追求したら、市場原理からいって「若い女」に金を出すのは男性からの方が圧倒的に多く、
健全なものよりも性的な物の方が男性に売れやすいのも然り。
で、あっち方面に突き進んでくんだろうなぁ、と。

なので、極論を言えば、
「エロに浸食されないコスプレ」を守ろうと思ったら、
ああいうのをしちゃう子達に「もっと簡単」で「もっと特別扱いされる」趣味を提供したらいいだけだと思うんですよね。とっさに思いつけないですけど。

エロカメコは昔からいるし、登録不要のコミケ会場は初心者カメコさん向きで、その中にパンチラとか胸撮りたいとかでくる人がいるのは珍しくないので、
今回の問題を「ローアングルで撮るやつらが悪い」で片付けようとしてるレイヤーさんたち怖いなーって思います。
確かに『実行犯』はその人たちですけど、その人たちをコミケに来るように誘導し、エサを与えてるのは一部のレイヤー側なんだから。
(もちろんそういう子達の巻き沿いになって被害にあってしまってるレイヤーがいることも事実なので、レイヤー全員が悪いわけではないですよ)
その子達をどうしていくか、
その子達が変わらない・他に行かないのなら、どう共存していくか(すみ分けるなりなんなり)、
っていう問題な気がします。


こういう「認められたい」「特別になりたい」っていう人間の欲は、
別にコスプレに限んないんですよ。日常生活でもどこにでも溢れてる。

身近な例だとツイッターのRT数とかファボね。
RT数とかファボは、本来は自分の言葉や考えが共感されたり認められた結果で、
それが嬉しいんだと思うんですよね。
たくさんリツイートされてフォロワーが増えると、自分が人気者であるかのように思える。
だからどんどん『リツイートされるツイート』をしたくなる。フォロバするからフォローしてっていうツイートをしたりする。
そして途中から「共感を実感させる”手段”」だったRT数やファボ数、「つながること」が目的だったフォロワー数という、
数そのものが「嬉しさ」に直結してしまい「目的」に成り代わり、
結果としてパクツイが横行する。


SMAPの「世界に一つだけの花」は素敵な曲だけど、
完璧に『ナンバー1にならなくても、自分は特別だ』と思える「自己満足の極地」にいられるほど人は強くも単純でもない。
だから逆にあの曲が響くんじゃないかと思うんです。
だって、「ナンバー1じゃない自分だけど、特別なんだからそれでいいじゃないか」
=「ナンバー1になりたい」から辛い思いをしてきたけど、「(その代わりに)『特別』なんだからそうじゃなくてもいいよね?」っていう「ゴール地点のすり替え」心理がそこにはあるってことじゃないですか。

これはもう論語の時代からある人間の性なので、私ごときが頭を悩ませてもどうこう出来るものでもないですし、
多分今世紀内っていうか人間が劇的な進化っていうか変化でも遂げないかぎりなくならないことなんで、
「次のコミケまでに解決しましょう!」なんて無理だと思うんですよね。

だからとりあえず目先の話だけをすれば、
「コミケのコスプレのルール」を変えちゃえばてっとり早いんじゃないですかね。
別に前ので不便じゃなかったっていうかコミケのコスプレはあくまで「オマケ」だと私は思うので、

・胸は2/3以下しか見せちゃいけません。
・尻も1/2以上見えてはいけません。
・肌色タイツは不透明なもの(具体的には下に黒い布を入れても色が透けないもの)を着用しなければなりません。透ける場合はNGです。
・膝上のスカートの場合はパンツの上にスパッツやインナーを着用。

とかにして、それがいやな人は別のイベントいけばいいと思う。
トイレとかで更衣室チェックの後に衣装に手を加えてしまう人もいるけど、
コスプレ広場の入り口でチェックすればいい。
それだけで大分減ると思いますね。
「表現の自由を守る」って言葉を準備会はよく使うし、その理想は立派だと思う。
けど、多少制限された程度で出来なくなる表現なら、その場に向かないって話でもあると思う。
本物の肌使わなくても、肌色の生地でごまかすとか、いくらでも手段はあるんだから。

とりあえず承認欲求を満たすためだけにコスが食い物にされるっていうのはね~、メジャーになった故のことだからね~。
とりあえず正直書き飽きてきたので終わりますw
飽きずに読んでくださった方、飽きたけどなんとか読んでくださった方、ありがとうございます。
凄いです。