2014.3.11 | 体操っておもしろいよな

体操っておもしろいよな

男子体操競技をメインにしているブログです。
今昔そしてワールドワイドに体操を紹介していきます。
少しでも体操に興味を持ってくれれば幸いです。

どうもどうもどうも、


更新空けがちな翔です。


今日は3月11日です。


震災から3年が経ちました。


犠牲になった方のご冥福をお祈りするとともに


被災された方々のご多幸を願います。


僕は山梨県民ですが、


僕には宮城県出身で栃木に住んでる親戚がいて


震災当日は宮城県にいたそうなんですが


無事に生還して普通に暮らしています。


僕自身東北とはそんなにゆかりもありませんが


震災が起きた日は高校の合格発表の日でした。


そして1ヶ月後に入学式があってその日も大きな余震がありました。


僕は体操部に入り、


1年生の8月にはインターハイにマネージャーとして連れてってもらいました。


インターハイが行われたのは岩手県でした。


公式練習の時間はせいぜい2時間だったので


残りの時間は暇だったんです。


その時間を利用して先生の車に乗って宮城県気仙沼市に連れていかれました。


気仙沼に入ったのはわかりましたが


そこは至って普通に人が行き交っている街でした。


しかし、ある地点を境に街が街でなくなってました。


境の先をを進むにつれ茶色い街が目に映りました。


当時の体操部8人と先生2人が乗っていた車内が絶句に包まれます。


とある港に車を止めて皆でおりました。


目の前には崩れ壊れた港がありました。


船乗り場は先が水に浸かり、地面は割れて、鉄柱が折れ曲がり、断層ができていました。


海には細かい木くずが浮かんでいます。


みんなただただ無言で辺りを見渡すだけで


再び車に乗りまた少し移動すると、


車が通れる道の両脇には瓦礫の山がいつまでも続いていました。


空っぽのコンビニ、1階の抜けた建物、道端に打ち上げられた第18共徳丸、


ボコボコに窪んて潰れた車の上に図々しく乗っかる瓦礫。



そこで懸命に作業する人々。


車内は沈黙のままです。




それからというもの東北に行く機会も無いまま、


僕は高校を卒業しました。


そして今日です。


大好きなテレビも今日はまともに見れませんでした。


あの港は今どうなっているんでしょうか。