ネットでトゥレット症という言葉があることを知った。

暴言や卑猥な言葉、意味不明なことを突発的に発してしまう音声チック(汚言症)と、侮辱的な行いや意味不明な行動をする(例では通りすがる人に中指を立てる女性が挙げられていた)運動チック(汚行症)に大別され、これらのチック症を総称してトゥレット症候群というらしい。

僕は子供の頃、チック症だった。
瞬きをする際、時折瞼を必要以上にぐっと閉じるのが癖になっていた。これはチック症に見られる代表的な行動らしく、親はすぐにわかったようだ。

いつの間にかしなくなったけれど。
実は汚言症に似た症状が現れることがある。
ただこれは思考までで、必ずしも言葉に出す必要にまで至らない。人といるときは抑えがきくし、自分一人で居るときはごく小さな声や口ぱくで済む。
僕はこれを、独自に思考チックと読んでいる。

精神疾患とされているけれど、自分にとっては珍しいことではない。
発達障害やアスペルガー症候群のチェックリストでは結構な率で引っかかるけど、こうしたものの診断は本来難しい。

障害の強弱や濃淡は千差万別、「ここからここまで」と簡単に定義もできないので、グレーゾーンや部分的なものも含めたら健常者と言われる人たちの中にもかなりの数が含まれると思っている。

トゥレット症は家庭環境の影響が大きいとされているけれど、こうした問題に向き合おうとする際は、アプローチに注意する必要がある。

原因がたとえ誰かや何かのせいであったとしても、そのようなかたちを纏って現象として現れ出たに過ぎないわけで。

齎されたのは自分であり、それは自分が向き合うべきテーマに則って提供される。人生上でそれに取り組むことが課されている。

だから、誰かや何かのせいにして自分をすり減らす必要はないし、精神薬に縋ったりするのは方向を誤ることになる。

精神疾患は思いもよらない病症を見せることもあり、周囲の理解を得ることも大変に難しいだろう。認定されている人はもちろんだけれど、グレーゾーンの人は健常者と見なされている分、余計に精神的負担が大きい場合すらある。

非常に大変ではある。
大変ではあるけれど、やはり自分と向き合うこと無くして解放はない。
落とし所を見つけて地に足をつけるには、自分と向き合うしかない。

唯一の救いは
【自分】にだけは、ありのままに向き合える。

歓びだけでなく、痴態も含めたすべての自分を受け止めてきたのは、紛れもなく自分だけなのだから。

洗いざらい吐き出して
脱ぎ捨てて
新しく

新しい自分に