仙骨をしまうをやって歩く。

階段を上るのは相変わらず疲れることに疑問があった。なにか自分が間違いをしていると考えていた。

今日、仙骨をしまうを無意識にできていて、自分がやっているのではない感じがした。身体がやっているような感覚。
「この感じのまま、階段を上がってみよう」と思いやってみた。

通常、人は階段を上る際、片方の足を初段へ、もう片方を次段へと、脚を交差させながら上るが、身体の選択は違った。

身体は、踏み台昇降のように一段ずつ昇るを選択した。

片方を初段へ載せたら、もう片方も初段へ載せる。
次段へ片方を載せたら、もう片方も次段へと載せる。
その繰り返しだ。
この昇り方だとほとんど疲れないことがわかった。

いまは部屋着を浴衣にしているのだけれど。
これだと脚の可動域が洋服よりも狭く、段差を上るのもやり辛くて、日本人はどのようにしていたのかと考えたのがきっかけだった。

またひとつ、拓けたと思う。